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連載・特集

緑地帯 飯舘村の母ちゃんたち 古居みずえ <3>

 福島県飯舘村で、酪農家の母ちゃんたちを取材し始めたのは、なんと、彼女たちが自分の乳牛を手放さなければならない日だった。

 「悔しくてたまらない。まだまだ働ける牛なのに」。その一人、中島信子さんは初対面の私に向かって涙を浮かべ、助けを求めるように訴えた。横では信子さんの夫が、牛をトラックまで黙々と運んでいた。牛を運ぶ業者は、気を使って出発を遅らせる。

 福島第1原発事故で、放射線量が高く、全域が計画的避難区域に指定された飯舘村。住民たちは避難を余儀なくされ、牛などの家畜は、早期処分や村外への移動が促された。

 8頭の乳牛を手放した信子さんは、夫と共に長年、酪農をやってきた。酪農は毎日、乳搾りがあり、労力がかかる。年齢とともに仕事がきつくなってきて、牛を乳牛から、体力的な負担が比較的少ない和牛へと、少しずつシフトしていたさなかだった。しかし、その和牛も全て手放さなければならなくなった。

 2011年6月、信子さんの家から最後の牛が出て行った。かわいがっていた母牛「ハナコ」と子牛だった。牛がみんないなくなった時、信子さんは「手足をもがれたようだ。夢も希望もないってこのこと」と話していた。

 原発事故で、家や財産だけでなく、暮らしそのものを失うことになった信子さんたち。そこに見たものは、まさに私が20年以上見続けてきたパレスチナの人々の姿だった。故郷を追われ、土地を奪われ…。私は「飯舘村の母ちゃんたちを追おう」と強く思った。(ジャーナリスト=東京都)

(2016年7月6日朝刊掲載)

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