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連載・特集

緑地帯 飯舘村の母ちゃんたち 古居みずえ <4>

 福島県飯舘村で酪農に従事する母ちゃんたちは、たくましく、働き者だ。牛を赤ちゃんの時からわが子のように育てる。大きくなると踏まれてけがをすることもあるが、それでもとてもかわいがる。

 2011年5月、私が取材で訪ねた長谷川花子さんもエネルギッシュで、いっときも止まることなく働き続ける人だ。酪農を35年続ける傍ら、米、大根、トマトなどの農業をし、イノシシを育てて肉を売っていた。日に3回は牛の乳搾りをし、その間にイノシシの餌やり、8人家族の食事の用意などを一手に引き受けていた。

 長男が家業を継ぐことが決まり、さらに酪農に力を入れようとしていた時、福島第1原発事故が起きた。飯舘村は、原発から半径30キロ圏外にあるが、放射線量は高く、事故から1カ月余りたってから計画的避難区域に指定された。

 花子さんたちは急に村を出なければならなくなった。酪農家は牛乳の出荷停止を命じられ、乳牛の移動や、牧草を食べさせるのも禁止された。酪農家仲間で話に話を重ねたが、牛を手放して避難するしか方法はなく、休業せざるを得なかった。

 牛を送り出す日、花子さんは気丈にも「さよなら」と言って手を振っていた。人前では涙を見せない花子さん。後日の取材で、実は「牛舎で一人、泣いたんだよ」と話してくれた。

 花子さんの牛舎からはだんだんと牛がいなくなり、最後には空っぽになった。その様子をカメラで追いながら、全てをなくした花子さんのむなしさを思い、胸が痛んだ。(ジャーナリスト=東京都)

(2016年7月7日朝刊掲載)

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