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連載・特集

緑地帯 飯舘村の母ちゃんたち 古居みずえ <5>

 東日本大震災と福島第1原発事故から2カ月がたった2011年5月。福島県飯舘村の全村避難に伴い、家畜への対応方針を話し合うため、村が説明会を開いた。

 「私らの生活は地獄になったんですよ」。多くの参加者が押し黙る中で口火を切ったのは、長年酪農を営み、和牛も育ててきた原田公子さんだった。

 牛に人生を懸けてきた50代の公子さん。避難するため、牛が飼えなくなると知ったときのショックは大きかった。「夫は、補償金をもらって、いったんやめたほうがいいのではないかと言う。でも、小さい頃から手塩にかけて育ててきた牛のことを考えると、やっぱり…」

 今の土地を追われれば、酪農や和牛農家を続けることは容易でない。高齢になった農家にとってはなおさらだ。多くの農家は、とても暮らしていける額ではないわずかな補償金を受け取り、諦めるしかないのが実情だった。

 公子さんは何日も悩み、考えた。苦しくて眠れない日が続いたという。だが、「続けたい。牛を売りたくない」との公子さんの決意は固く、結局、夫婦で福島県の中通りにある別の村に移って、和牛農家を続ける道を選んだ。

 飯舘村からは離れたが、公子さんはどうしても牛たちと別れることはできなかった。今は、飯舘から連れて来た牛と、新たに買い入れた和牛40頭余りを育てている。

 取材に訪ねると、公子さんは生まれたばかりの子牛にミルクを飲ませ、「かわいいでしょう。これだからやめられないのよね」と、顔をほころばせた。(ジャーナリスト=東京都)

(2016年7月8日朝刊掲載)

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