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連載・特集

緑地帯 飯舘村の母ちゃんたち 古居みずえ <6>

 2011年から福島県飯舘村で撮り続けた映像は、市民の皆さんからの大きな支援で、記録映画「飯舘村の母ちゃんたち 土とともに」として完成した。主人公として追った菅野栄子さんは、5月からの東京上映の会場にも足を運び、古里を奪われた母ちゃんたちの切なさをトークイベントで語ってくれた。

 栄子さんは、飯舘村の佐須地区の出身だ。酪農を46年間続け、村の婦人会長もやった。70歳からは夫とともに有機農業を始め、地元に伝わる「さすのみそ」、凍(し)み豆腐、凍み餅などをつくり、地域の食文化を守ってきた。

 10年に夫と死別し、長年介護をしていた義理の母親も翌11年2月にみとった。ようやく「自分の人生を生きよう」と思っていた時に、原発事故が起こった。

 栄子さんは今、同県伊達市の仮設住宅で暮らしている。飯舘村を離れた寂しさ、生活を失った悔しさで、一時は外にも出ず、部屋に閉じこもっていたという。

 だが、避難から4カ月後に、村でも隣に住んでいた菅野芳子さんが隣に引っ越してきて、元気を取り戻した。近くに畑を借り、2人で畑作業をするように。土に触れ、村で暮らしていた時の気分に一時的にでも浸って生きることが、何より幸せなのだという。

 さらに冬場には、月1、2回開かれる「さすのみそ」造りのワークショップにも加わっている。「たとえ今は村に帰れなくても、100年、200年たてば、誰かが飯舘の食文化を受け継いでくれる」。栄子さんは、そう信じて活動している。(ジャーナリスト=東京都)

(2016年7月9日朝刊掲載)

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