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連載・特集

緑地帯 ハチロクをよろしく 出山知樹 <5>

 被爆死した米兵捕虜を慰霊するため、1999年に広島を訪れた元同僚のトーマス・カートライトさんの旅に同行し、取材することになった。彼らが乗っていたB24爆撃機は原爆投下の1週間余り前、江田島沖に飛来して撃墜された。その2機のうち1機、ロンサムレディー号は柳井市の伊陸(いかち)に墜落した。

 墜落現場の近くに住んでいた村中啓一さんは19歳の時、機体の残骸を拾った。それはちょうどハトのような形をしたジュラルミンの破片だった。村中さんは後に、機長だったカートライトさんの生存を知り、その破片を送った。

 戦時供出で金属が不足していた当時、付近の住民も、残骸を農具やフライパンなどに打ち直して使っていた。

 広島を訪れた際、カートライトさんは伊陸にも足を運んだ。住民の間には当初、訪問に反発もあったというが、村中さんがカートライトさんの手記を事前に翻訳して配り、一軒一軒説得して回ったため、受け入れを決めた。募金で米兵たちの慰霊碑を伊陸に建てることまでして迎えた。

 カートライトさんは涙ながらに感謝の言葉を述べていた。旧約聖書に次のような一節がある。「彼らは剣を打ち直して鋤(すき)とし/槍(やり)を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない」。カートライトさんは、爆撃機を農具に打ち直した伊陸の人たちをこの一節と重ね合わせ、深い感銘を受けていたと後に聞いた。

 そのカートライトさんも村中さんも今は故人となってしまった。(NHKアナウンサー=広島市)

(2016年7月21日朝刊掲載)

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