×

連載・特集

緑地帯 ハチロクをよろしく 出山知樹 <6>

 NHK広島放送局が開局80年を迎える2008年、ラジオドラマを制作した。タイトルは「放送を続けよ!~広島中央放送局の8月6日」。当時、広島中央放送局は爆心地から1キロほどの広島市上流川町、現在の中区幟町にあった。局舎は炎上、放送は途絶え、多くの職員が被爆した。

 「電波を出せ、放送を続けよ」。被爆した職員たちは惨状の中、けがをした同僚を背負うなどしながら、今の安佐南区にある原放送所までたどり着き、復旧に全力を尽くして、およそ24時間後には放送を再開させた。

 ラジオドラマでは一つの重い事実を取り上げた。当時、放送局は空襲警報や警戒警報の発令をラジオで伝える役割を担っていた。8月6日朝、原爆投下の前に偵察機が来た時に警戒警報が発令されたが、午前7時31分に解除された。

 その後、原爆を投下するB29爆撃機エノラ・ゲイ号が広島上空に来た時、被爆体験でもよく語られるように、B29が飛んでいることに多くの市民が気付いていた。にもかかわらず、その時はなかなか警報が出なかったのである。

 中国軍管区司令部防空作戦室がようやく警戒警報を発令し、放送しようとした時、原爆が炸裂(さくれつ)した。結局、直前の警報は伝えられなかった。「もっと早く警報が出ていたら、防空壕(ごう)に入るなどして助かった命があったのでは…」。ラジオドラマでは、職員がそのことに思い悩む姿も出てくる。

 過去を変えることはできない。しかし、未来のために「今」どうすればいいのかを考えることはできると思う。(NHKアナウンサー=広島市)

(2016年7月22日朝刊掲載)

年別アーカイブ