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海軍航空廠の記憶語る 呉で勤労奉仕の街道さん

 呉市広地区にあった第11海軍航空廠(しょう)で勤労奉仕をした広島市安佐南区相田の元高校教諭、街道武司さん(83)が24日、呉市広古新開の広まちづくりセンターで当時の記憶を語った。招いた広郷土史研究会は証言を会報で残し、次世代へ伝える。

 航空廠は、旧海軍最大の航空機エンジンの開発製造拠点だった。1945年5月5日、米軍機の爆撃で壊滅的な打撃を受けた。

 街道さんは同市広石内の出身で、当時は広中央国民学校高等科の1年生。「航空廠でトタンを素手で拾い集めさせられ、手のひらを切った」と話した。

 玉音放送も航空廠で聞いた。その後、解散を告げられて帰宅する途中、道ばたで何人もが顔を両手で覆い、泣く姿を見たという。「自分も日本が負けたことが信じられず、目的も信念も失って抜け殻のようだった」

 この日の研究会の例会には23人が参加して証言を聞いた。上河内良平会長(66)は「戦争体験者の生の声を聞ける時間は限られている。証言を資料として残したい」と話していた。(小笠原芳)

(2016年7月25日朝刊掲載)

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