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「大淀」犠牲者悼む 江田島市大柿で慰霊祭

 1945年7月、江田島湾停泊中に米軍機の爆撃を受けた旧海軍の軽巡洋艦大淀の乗組員の慰霊祭が24日、江田島市大柿町の慰霊碑前であった。

 慰霊碑には277人の名前が刻まれている。慰霊祭は、地元の飛渡瀬地区の住民や海上自衛隊第1術科学校の関係者たち約80人が参列した。術科学校の教官がラッパを吹き、参列者が焼香した。

 当時、消火や救助活動に当たった住民が51年から開いている。飛渡瀬地区に住んでいた大分県日出町の魚住修三さん(81)は「知り合いだった乗組員たちを亡くした、悲しい記憶がよみがえる」としのんでいた。(貞末恭之)

軽巡洋艦大淀
 呉海軍工廠(こうしょう)で1943年に造られ、最後の連合艦隊旗艦でもあった。44年のレイテ沖海戦などに加わった。江田島湾に停泊中だった45年7月24~28日の米軍機の爆撃で大破。47年、引き上げられて呉市で解体された。

(2016年7月25日朝刊掲載)

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