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被爆死 母の証し後世に 東広島の飯田さん 婚礼衣装など資料館へ 

富山から帰郷 証言活動へ決意

 被爆71年の原爆の日を前に、東広島市の被爆者、飯田国彦さん(74)が、原爆死した母親の婚礼衣装など遺品6点と遺影を原爆資料館(広島市中区)に託した。「母の生きた証しを後世に残し、原爆で奪われた命の重さを伝えたい」。自らは今春、富山市から帰郷し、若者たちに語り継ぐ決意を強くしている。

 1945年8月6日、飯田さんと母稔子さん=当時(25)、姉真基子さん=同(4)=は、爆心地から約900メートル南の水主町(現中区加古町)にあった稔子さんの実家で被爆。母と姉は9月に相次ぎ亡くなった。同年6月には召集された父の武さん=同(31)=が沖縄で戦死していた。

 遺品の多くは、被爆直前に現在の東広島市に疎開させていたために残った。うち40年4月に挙げた父母の結婚式の関連が4点。振り袖は花柄が鮮やかで、それをまとった記念写真もある。稔子さんが37年3月に県立広島高等女学校(現皆実高)時代に贈られた賞状には「操行学力優等」と記されている。

 「優しい母の思い出は切なすぎるので、おねしょをして叱られた記憶を思い出して寂しさを紛らわせた」と飯田さんは振り返る。

 戦後、東広島市で祖母や叔父夫妻に育てられた。高校卒業後に機械技師となり、30歳代から北信越各地で勤務。約20年前から被爆体験の証言を始めた。2013年から2年間、富山市から広島平和文化センター(広島市中区)の研修に通って「被爆体験証言者」となり、活動を本格化させようとことし3月、東広島市に移り住んだ。

 婚礼衣装は叔母の山本弘子さん(86)=西区=が受け継いでいたが、協力を得て自らの保管分と共に寄贈した。資料館は「女学生生活、結婚と幸せな日々を刻む大切な遺品」とし、新着資料展で紹介する予定でいる。(水川恭輔)

(2016年7月27日朝刊掲載)

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