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連載・特集

オバマ米大統領を迎えた夏 52分の重み <8> ヒロシマの原点

被害かみしめ核廃絶を 遺品・記憶 伝える契機

 「8時15分」で針を止めた懐中時計が、見る人をあの日へと引き込む。原爆資料館(広島市中区)の収蔵資料の一つ。被爆者の遺品などを紹介する同館の図録「ヒロシマを世界に」(127ページ)の表紙を飾る。図録は5月27日に来館したオバマ米大統領に記念品として同館が贈った。

図録に祖父の時計

 「大統領は図録をそばに置いて被害の実態や家族の悲しみをかみしめてほしい。おやじも同じ思いじゃろう」。被爆者の二川清司さん(73)=広島県坂町=は強く願う。

 時計は、二川さんの父、一夫さん(2001年に89歳で死去)が1940年ごろに陸軍輸送船の乗組員として訪れた中国で購入。土産に贈られた祖父謙吾さんが肌身離さず持ち歩いていた。

 謙吾さんは45年8月6日、爆心地から約1・6キロ南西の観音橋で被爆。大やけどを負い郊外の親戚宅に逃げたが、8月22日に59歳で亡くなった。一夫さんは同じ日に召集先から広島にたどり着いたが、死に目には会えなかった。

 一夫さんが時計を資料館に寄贈したのは被爆30年の時。それまで仏壇で大切に保管していた。そんな父を二川さんは「子煩悩で、かわいがってくれた親をみとれなかった負い目があったのだと思う」。

 被爆の記憶を伝える遺品。被爆者の平均年齢は81歳に迫り、証言で伝えることが一層困難になる中、遺品が担う継承への役割はさらに増す。

 ただ資料館は今、所蔵資料の劣化具合の調査と保存処理が急務だ。資料館で展示されていた二川さんの懐中時計の実物は昨夏、短針が朽ちて折れているのが見つかった。原爆投下から70年を越え、時の経過を突き付ける。

「孫の関心高まる」

 記憶の風化にあらがい、核の惨禍を世界へ発信する使命を負うヒロシマにとって、オバマ氏の「歴史的」訪問は、足元を見つめ直すきっかけになった。

 「孫の原爆への関心が明らかに高まった。私自身も家族の体験を聞き、子や孫に伝えられた」と村田勝さん(72)=中区=は言う。孫の中島小6年竹本沙代(わか)さん(12)=同=が平和記念公園(中区)でのオバマ氏の訪問行事に招かれたのを機に、家族の記憶をたどれたからだ。

 村田さんの生家は今の公園内のレストハウス南側にあった日用品店「村田商店」。一家は原爆投下の直前に疎開していた。

 「遊び場だったお寺の池の周りに、亀が散歩する姿のまま焼け死んでいたの」。村田さんは、動員に出た父親を捜しに自宅跡付近へ入った姉から今夏、詳しい惨状を教わり、長女の竹本千栄子さん(43)と、その娘の沙代さんに語った。「まだ知らんこと、伝えられとらんことがあった」。熱心に聞く娘と孫の姿に痛感した。

 原爆を落とした米国の大統領が平和記念公園に足を踏み入れた52分。ヒロシマは、核超大国のトップに「核兵器なき世界」への行動を迫った。同時に、語り継がねばならない原点に改めて向き合った。(水川恭輔)=おわり

(2016年7月29日朝刊掲載)

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