×

ニュース

8・6式典時間帯に五輪開会式 被爆者・元サッカー代表 広島の下村さん 黙とうの実現願う

平和の理念 リオでも

 開幕が迫るリオデジャネイロ五輪。開会式は、6日の広島市の平和記念式典と同じ時間帯に行われる。1956年のメルボルン五輪にサッカー日本代表で出場した下村幸男さん(84)=広島県府中町=は71年前、広島で被爆した。投下時刻の午前8時15分、原爆で亡くした肉親や多くの友を悼み、五輪が「平和の祭典」として成功するよう願う。(長久豪佑)

 「国を代表して海外で試合するのは本当に光栄だった」。下村さんは、メルボルン五輪出場記念のメダルとピンバッジを手に記憶をたどった。「戦時中は、いつか国のために死ぬと思っていたんだ」

 旧制修道中2年の時、雑魚場町(現広島市中区)で建物疎開の作業中に被爆。黄金山(現南区)近くまで逃げ、防空壕(ごう)で3日ほど寝込んだ。多くの級友だけでなく、鷹匠町(現中区)の自宅にいた母親、兄、祖母も亡くした。「周囲に遺体があり、怖くて自宅に近づけなかった」と言う。

 軍国主義の教育を本気で信じていた。戦後、見失った目標を与えてくれたのがサッカーだった。ゴールキーパーとして才能が開花。卒業後は東洋工業(現マツダ)に入り、日本代表に選ばれた。

 被爆11年、24歳で迎えたメルボルン五輪。日本サッカーにとっても戦後初出場だった。「米国と対戦すれば絶対に負けたくないと思っていた」。しかし、1回戦で地元オーストラリアに負け、下村さんは控えで出場できなかった。

 選手村では他国選手との交流を楽しんだ。「選手同士の一体感、平和の祭典という雰囲気を感じた」。米国への恨みが薄らぐきっかけの一つになった、と振り返る。引退後は監督として東洋工業を5度の日本リーグ優勝に導き、日本代表監督も務めた。昨年、「日本サッカー殿堂」入りした。

 リオ五輪の開会式では、ブラジルや広島の被爆者たちが「世界平和を願う黙とう」を呼び掛けている。実現を期待する一方、色濃くなった五輪の商業主義やドーピング問題を憂う。テロの不安も付きまとう。「関係者や選手は、スポーツを通じて友好を深める五輪の理念を忘れてはいけない」。被爆者として、オリンピアンとして力を込めた。

 6日は、ここ20年ほどの恒例で、修道中にある生徒・教職員計188人の名が刻まれた慰霊碑を訪問、2年生に被爆体験を語る。

(2016年8月2日朝刊掲載)

年別アーカイブ