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被爆死の父刻む枕 福山市原爆被害者の会 最後の会長・広中さん 資料館に寄贈

 福山市の被爆者、広中正樹さん(76)が2日、被爆翌日に亡くなった父の一さん=当時(37)=の遺品の枕を原爆資料館(広島市中区)に寄贈した。自宅で息を引き取った時にも使っていた形見の品で、血痕が残る。今夏、資料館が遺品提供の呼び掛けを強めているのを受けて応じた。(水川恭輔)

 広島鉄道局職員だった一さんはあの日、路面電車で通勤中、爆心地近くの紙屋町(現中区)付近で被爆。夜には広中さんら家族がいた己斐町(現西区)の自宅に戻った。全身にやけどと傷を負い、背中には窓ガラスの破片がびっしり突き刺さっていた。翌7日に逝った。

 枕は「人造絹糸」製とみられ、茶色の生地には血痕が残っている。広中さんの母、二三枝さんは枕の中材を抜き、たんすにしまっていた。一さんが自らの召集を見込んでしたためていた、4人の子どもの行く末を託した遺書とともに。広中さんは母の思いを推し量る。「父との思い出、8月6日、悲しみと子どもを育て上げる決意…。全てを刻んどるからでしょう」

 2003年に88歳で亡くなった二三枝さんからこの遺品を受け継いだ。枕に頭をのせた父の遺体を描いた自作の絵を使い、おんぶしてくれた父の背中の変わり果てた姿や、泣きながら死を悲しんだ体験などを平和学習で証言してきた。

 昨年解散した福山市原爆被害者の会で最後の会長を務めた広中さん。寄贈を申し出たのは、資料館が7月25日に新たなポスターで資料を求め始めた翌日だった。「将来証言ができんようになっても、遺品が、何も悪うない父の命を奪った原爆の悲惨さを伝えてほしい」と願う。枕のほかに、懐中時計や襟章などの遺品も託した。

 資料館によると、枕の提供は珍しいという。「遺品や被爆資料について証言できる被爆者や遺族が高齢になっている。引き続き呼び掛けたい」としている。同館Tel082(241)4004。

(2016年8月3日朝刊掲載)

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