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「原爆が古里奪った」 広島市の旧中島地区 映像復元事業始まる

■記者 森田裕美

 原爆で壊滅し、現在は平和記念公園(広島市中区)となっている旧中島地区の映像による復元事業の一環として20日、元住民たちの証言の収録が始まった。初日は、就職や学徒動員で自宅を離れていて助かった3人が、奪われた古里への思いを語った。

 中区の上田昭典さん(79)は製作委員会のメンバーで監督の田辺雅章さん(70)によるインタビュー形式の収録に応じた。「人が温かくいい町だった。古里をつぶした原爆は二度と使ってほしくない」。繁華街だった中島地区の思い出や戦中・戦後の体験を証言した。

 上田さんは1945年6月、就職のため旧満州(中国東北部)に渡り、被爆を逃れた。家族に連絡もできないまま日本に戻ったのは翌年8月。家族も家屋疎開で中島地区を離れており、原爆の犠牲にならなかったが、親しい人たちが多数、亡くなっていた。

 「自分たちだけ生き残ってしまった」。後ろめたさから、平和記念公園での元住民の慰霊式にも10年ほど前まで出席できなかった。しかし、観光客から「ここは静かな公園で犠牲が少なくてよかった」と誤解する感想を聞いたことがきっかけで、事実を伝える大切さを実感。田辺さんらに協力を申し出た。

 「元住民の記憶や資料を頼りに、細部まで再現したい」。田辺さんたちは来年8月までに30人の証言の収録を計画している。

(2008年10月21日朝刊掲載)

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