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被爆体験 米で継承25年 広島から移住 川崎さん

 広島市で被爆し、戦後に米オレゴン州ポートランド市へ移住した川崎良雄さん(87)が、現地で体験を語り継いでいる。約25年前から高校や大学、平和団体主催のイベントなどで講演。原爆投下国の市民に、原爆の悲惨さを訴え続ける。

 川崎さんは、両親が移住したハワイで11歳まで生まれ育った。1941年、祖父の病気をきっかけに、家族で広島市に移った。旧制修道中3年だった16歳の時、爆心地から約3・2キロ南東の広島陸軍共済病院(現在の県立広島病院)で被爆。割れた窓ガラスで顔にけがをした。大やけどを負って治療を求める人を見掛け、「何もできず無力さを感じた」と振り返る。

 病院には虫垂炎で入院していた。父親はもともと川崎さんを、爆心地となる島病院(現島外科内科)に入院させようとして電話をかけたが、つながらなかったという。「もしそのまま入院していたら、運命が変わっていた」と話す。

 51年に米国へ戻り、ポートランド市の銀行で長年勤務。オレゴン州の日米交流団体で会長を務めるなど、両国の橋渡しを担った。

 体験を語り始めたのは、孫が通う高校に招かれたのがきっかけだった。「若い世代に歴史を伝えよう」と、活動を続けてきた。米国内では、原爆が戦争の終結を早めたと正当化する考え方が今も主流だ。一方で、原爆投下から70年が過ぎた昨年から、周囲の関心が高まったと実感する。この1年はほぼ月に1回、講演の依頼があるという。

 講演では、地元の市民に「戦争は地獄を生む」と厳しい口調で語る。そして、「互いに許し合うことも大切」と語り掛ける。広島と長崎への原爆投下をテーマに今月12日にも、郊外の大学である催しで変わらぬ思いを訴える。(村上和生)

(2016年8月3日朝刊掲載)

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