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連載・特集

語り継ぐ廿日市 <上> ほおに熱 きのこ雲見詰め

火の玉見えたと確信 校舎のガラスが割れた

 1945年8月6日の廿日市市の光景を伝えるDVD「廿日市市から見た原爆の記憶」が完成した。97~80歳の市民4人の証言を収録。爆心地から10キロ余り離れた廿日市にも爆音が響き、真っ黒になった被爆者が逃れてきた71年前の惨事を次代に伝える。語り手2人と20代のインタビュアーに体験や思いを聞いた。(山瀬隆弘)

  廿日市市宮内の小田義生さん(83)は宮内国民学校(現宮内小)6年だった。あの日、午前8時から校庭を掃除していた
 15分程度の掃除を終えて、集合場所の校庭北側に向かっている時に目の前が光った。右頬に熱を感じ、東を見ると、きのこ雲が湧き上がるのが見えた。

  昨年夏、当時の記憶を1枚の写真にした。宮内小の現在の写真にきのこ雲の写真を合成した
 きのこ雲の真ん中に火の玉が見えたと確信している。広島市内の火薬庫が爆発したと思い込んだ。校舎の窓ガラスが割れて女子が騒いだが、何が起きたのか分からなかった。取りあえず、全児童で裏山の防空壕(ごう)に入った。

 しばらく隠れて学校に戻ると、広島に爆弾が落ちたと先生が言った。5年生以下はすぐに下校。学校を救護所にするため僕たちは教室の机を廊下へ出し、ござを敷いた。

  午後には被爆者が学校へ運び込まれた
 男性も女性も真っ黒で驚いた。きのこ雲の下で何があったのか聞きたかったが、苦しんでいる人たちにとても聞けなかった。建物の被害も分からない。9月に広島へ出掛けるまで、その惨劇は想像もできなかった。

  DVDでは、多くの国が核兵器を持つ現状への懸念を示した
 収録では、同級生も忘れてしまったような状況を話した。広島や廿日市の記憶を忘れないでほしい。世界には核兵器があふれている。何かのはずみで使われたら大変。防ぐには、71年前を伝え続ける必要がある。

 ≪メモ≫DVD「廿日市市から見た原爆の記憶」は、市や市民でつくる実行委員会などが作成。広島市への原爆投下時に26~10歳だった男女計4人がインタビューを受け、廿日市で見た原爆の被害を語る。戦後70年事業として昨年度に収録し、ことし6月から3カ所の市民図書館などで貸し出している。

(2016年8月4日朝刊掲載)

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