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社説・コラム

社説 日本被団協60年 運動の重みをどう継承

 日本被団協はこの10日に結成からちょうど60年を迎える。

 都道府県ごとの被爆者団体が集まる唯一の全国組織であり、「ふたたび被爆者をつくるな」との合言葉を掲げる。原爆被害への国家補償を求めるとともに海外にも被爆者を派遣し、ヒロシマとナガサキの訴えを伝えてきた。

 その歩みにまず、深い敬意を表したい。ノーベル平和賞の候補として幾度も取り沙汰されるなど国際的な評価が高いのも当然であろう。

 ただ被爆者の平均年齢は、3月末で80・86歳。元気に証言できる人は減り、各地で組織の解散や休止が相次ぐ。足元の被爆地でさえ、活動が弱まりつつあるのは否めない。

 オバマ米大統領の広島訪問で核兵器廃絶への機運が盛り上がる中、被爆者組織の維持がおぼつかない現状は残念でならない。記憶を受け継ぎ、次世代へつなぐ責務を胸に刻みたい。

 かつて被爆者には「空白の10年」と呼ばれる時期があった。連合国軍総司令部(GHQ)のプレスコードで被爆者の苦悩が公にされず、国の援護もほとんどなかった時代である。1954年のビキニ水爆実験で原水爆禁止運動が全国に広がったのを機にその2年後、設立されたのが日本被団協である。

 いわれなき差別と偏見や、後障害とみられる体調不良…。そうした実情を国内外に伝えてきた。さらに国会への請願などを通じて被爆者援護施策の拡充につなげた役割は極めて重い。

 もう一つの大きな功績は、核兵器廃絶を求める国際的な流れを後押ししてきたことだろう。「こんな思いをほかの誰にもさせてはならぬ」と病を押して国内外で訴える被爆者の姿は世界中の人の心を動かしてきた。キューバ危機やベトナム戦争などで危ぶまれた核兵器の使用が、食い止められたのは被爆者が先頭に立ったおかげと言っても決して過言ではなかろう。

 ただこれからが気掛かりだ。共同通信のアンケートによると日本被団協に参加する全国の被爆者団体のうち「会員数が最盛期の半数以下」と答えた団体が6割に上る。高齢化が理由であるのは言うまでもない。

 確かに被爆地のある中国地方でもことしに入って尾道市因島、府中市、浜田市の被爆者団体が相次ぎ解散している。「高齢や病気で動ける人がほとんどいない」「あと何年活動できるか」。そんな懸念が聞かれる。一方で活動存続へ踏ん張る地域もあるのは心強い。

 60年かかって確かなものになった反核・平和の流れを、手を打たないまま先細りさせてはなるまい。被爆者の思いを受け止め、運動を次世代に引き継ぐ仕組みがもっと要る。

 被爆2世や活動に賛同するボランティアも会員になれるよう規約を変えた団体もある。退職時期に入る2世らがどこまで関われるかが鍵かもしれない。

 核兵器廃絶の道のりはまだ遠い。ことし日本被団協の提唱で核兵器禁止条約へ賛同する新たな国際署名活動が始まった。さらに活動の原点だったビキニ水爆実験の被曝(ひばく)者や、原爆以外の一般戦災の救済など広い連携が求められる課題もある。

 被爆者の力だけで実現できるはずもない。私たちも積極的に活動に協力したい。

(2016年8月5日朝刊掲載)

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