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[オバマ米大統領を迎えた夏] 被爆と向き合い鎮魂歌 森重昭さんの妻・佳代子さん コンサート参加続ける

 原爆犠牲者を追悼するため、毎年8月6日に世界平和記念聖堂(広島市中区)である市民コンサートに2004年から参加し続けている被爆者がいる。西区の森佳代子さん(74)。夫は、被爆死した米兵捕虜の存在に光を当てた歴史研究家の重昭さん(79)。共に5月のオバマ米大統領の広島訪問行事に招かれた。夫の活動を支えながら鎮魂の歌を届ける。(久保友美恵)

 7月下旬、エリザベト音楽大(中区)の一室。本番に向け、約100人が世界三大鎮魂歌の一つ、フォーレ作曲「レクイエム」のゆったりとした調べを響かせていた。

 記念聖堂で完成式があった1954年8月6日、同大の前身のエリザベト音楽短大の学生がこの合唱をささげた。以来、毎夏続いたコンサートは70年代に途絶えたが04年、卒業生が復活させた。その中心の一人が森さんだった。

 森さんは3歳の時、爆心地から4・1キロの草津浜町(現西区)の自宅で被爆。「原爆に人生を奪われた人を悼み、悲劇が繰り返されない未来を祈りたい」。その思いの源に、亡き父、増村明一(めいいち)さんがいる。

 草津国民学校(現草津小)教官だった明一さんは観音町(現西区)で被爆し、顔や胸元に大やけどを負った。51年に市議に。57年の原爆医療法施行後、被爆者が早期に治療を受けられるよう、法改正を陳情しに上京を重ねた。時には国の役人に自らのケロイドを見せて訴えた。67年に胆管がんが発覚。翌年、5期目さなかに53歳で逝った。

 父を思うとき、森さんは後悔で胸がいっぱいになる時がある。幼い頃、抱きかかえられるのを拒んだことがあったからだ。「ケロイドが気持ち悪い」と。

 5月27日、平和記念公園(中区)で、米兵捕虜への追悼の気持ちを伝えた夫の肩を、オバマ氏が抱く瞬間を目の前で見た。「米国が広島の地で歴史に向き合う瞬間に立ち会い、感慨深かった」と振り返る。

 父や自身が被爆したことは周囲にあまり語ってはこなかった。オバマ氏の訪問を経て初めて迎えるコンサートを前に、自身に向き合い、思いを新たにする。「何を祈って歌うのか、少しずつ仲間に伝えたい」

 ことしのコンサートは6日午後6時開演。入場無料。

(2016年8月5日朝刊掲載)

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