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米から益田 遺品戻る 太平洋戦争 21歳で戦死の松崎寿治さん 軍歴証明書など

 太平洋戦争でソロモン諸島方面へ赴き、1943年、21歳で戦死した島根県益田市遠田町出身の旧海軍水兵松崎寿治さんの遺品が4日、弟の雄三さん(80)=同町=の元に戻った。終戦から71年。米国にあった軍歴証明書などが入った木箱を、テキサス州在住の亜也・フォーリーさん(40)=米子市出身=が届けた。(江川裕介)

 証明書は縦20センチ、横73センチ。41年、佐世保海兵団に入り、呉を経て42年に横須賀から太平洋へ向かった履歴などが記されている。

 ほかに戻ってきたのは、負傷部位などを記す札2枚、これらを入れ「信管一型 八十個」などの文字が刻まれた木箱(縦24センチ、横29センチ、高さ10センチ)。箱には英語で激戦地のガダルカナル島やニュージョージア島の地名もあり、持ち帰った米兵が彫ったとみられる。

 この米兵の孫から遺品を見せられた亜也さんが、実家の母を通じて益田市に連絡。亜也さん一家の帰国に合わせて引き渡しが実現し、この日、市役所に雄三さんの家族らと計9人が集まった。

 亜也さんは「世代を超えて懸け橋になることができ、感激」。米兵の孫が「両国の悲しい歴史だが、地球上で私たちがつながっている証拠」などと書いた手紙も渡した。雄三さんも寿治さんの写真を贈った。

 家族の元に遺骨はなく、写真が残るだけ。雄三さんは「年が離れ、顔を見ることもないまま、兄は亡くなったが、毎年夏に思い出す。良い供養を考えたい」と感慨深そうだった。

(2016年8月5日朝刊掲載)

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