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社説・コラム

『想』 村上正晃 広島の人も学ぼう

 広島の人が原爆について一番知らないんじゃないか―。最近そんなことを考える。

 僕は今、平和記念公園(広島市中区)でガイドをしている。最初は英語が勉強したくて通いだした。そのうちガイドの方から話を聞いたり、実際に被爆者と話したりしていく中で、原爆に対する自分の無知を知った。

 出身は尾道市瀬戸田町。小学校で平和教育を受けたものの、中学、高校時代はほとんどなく、強い思いがあったわけではない。ただ、当たり前のように毎年8月6日午前8時15分は黙とうしていた。そして「自分は原爆を知っている」と思っていた。

 しかし、いざ広島に来てガイドから説明を聞くと、何も知らなかった。恥ずかしく感じ、少しずつ勉強するようになった。冒頭の言葉は、過去の自分に向けた言葉でもある。表現は極端かもしれない。県外の人に比べ、広島の人の被爆と平和への思いが強いことも知っている。

 ただ、小中学校で学んだ平和教育は、実はあまり覚えていない。大人になって改めて学ぶ機会も少ない。原爆ドームの前で「ガイドしましょうか」と声を掛けても、広島の人からは「広島なので大丈夫です」と言葉が返ってくる。

 一方、県外や海外の人は一生懸命聞いてくれる。時々、県外の知人を連れた広島の人をガイドすることがある。案内を終えると、口をそろえて「地元出身なのに知らないことがたくさんあった」と言う。ガイドを始める前の自分と重なる。

 まずは知ることから始めてみてほしい。被爆者の思い、平和記念公園の地面の下にたくさん眠る遺骨、約7万人の遺骨が納められている原爆供養塔、戦後の被爆者に対する差別、世界中の核実験、いま世界にある1万5千発以上の核弾頭…。学んでも学びきれない。それが原爆や戦争だと思う。

 被爆者が証言できなくなってしまう日はそう遠くない。原爆を広島のみんなで発信していきたい。71年たつ今だからこそ学ぼう。そして伝えていこう。(平和記念公園ボランティアガイド)

(2016年8月5日セレクト掲載)

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