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社説・コラム

『今を読む』 京都造形芸術大准教授・田中勝

折り鶴と平和 誰もがメッセンジャーに

 バラク・オバマ氏は米国の現職大統領として初めて被爆地広島を訪れ、4羽の折り鶴を残した。「少し手伝ってもらったけれど自分で作りました」と述べたという。早速、原爆資料館に見に行った。

 美しく折られた折り鶴の周りには「めっちゃうまい!」と修学旅行の子どもの声が響いていた。そして、ある男性が独り言のように「オバマさん、よく来てくれはったな」とつぶやいていた。もしこの折り鶴がなかったら、オバマ大統領の思いやメッセージが人々の心に深く届いていただろうかと考えた。

 私は被爆2世のアーティストとして、原爆開発に携わった物理学者の娘の画家と共同作品制作のプロジェクトを1999年から行ってきた。国内外の教育機関、美術館で作品展や講演会、ワークショップなどを開催し、2009年にはニューヨークの国連本部で作品展示を行った。ヒロシマの心を継ぐアーティストとして、芸術平和の研究者として、折り鶴は考察しておきたい造形作品であった。

 折り鶴が日本の文献上に表れるのは、1682年に出版された井原西鶴の「好色一代男」である。その後、着物の図柄の雛形(ひながた)本に図と言葉が表れるが、誰が考案者だったかは定かではない。

 鶴そのものは中国最古の詩篇(しへん)「詩経」に詠(うた)われ、前漢代の思想書「淮南子」でも長寿の象徴として用いられる。神仙思想に影響を受けた石庭では長寿や繁栄の吉慶の象徴として表現されてきた。そのイメージは日本の折り鶴にも受け継がれたのではないか。

 そして佐々木禎子という一人の少女との出合いによってさらなる意味を持つことになる。小学6年生になるまで普通の健康な少女だった禎子は白血病と診断され入院。病院で愛知から贈られてきた千羽鶴と出合い、鶴を折る。病気が治るようにと切に願った鶴のメッセージは国内外へ伝わり、特に海外では出版物を通して「サダコストーリー」が広がっていった。

 平和の象徴としての折り鶴は国境や文化の違いを乗り越えて受け入れられてきた稀有(けう)な創作品といえる。平和創出のツールとして公の式典や平和教育で、そしてアートとして数々の表現がされてきた。

 イギリスの詩人で美術評論家でもあるハーバート・リードは「芸術の真の機能は感情を表現し、理解を伝えることである」と述べている。折り鶴の存在は単なる遊戯としての「折り紙」遊びにとどまる創作物ではなく、リードの定義通りの造形作品となっている。つまり折り鶴を制作する誰もが平和のメッセンジャーとしての役割を果たしているといえる。

 折り鶴に魅せられたアーティストは多い。その一人がオノ・ヨーコである。広島で折り鶴をモチーフに参加型アート作品を発表したオノは「折り鶴に込めた『祈り』が世界中に広がればいい」と述べている。他者の痛みに寄り添うモチーフは今後も新たな絵の具の一色として輝き、さまざまに表現されるに違いない。

 禎子の行為は何も知らずに浴びさせられた放射能による苦しみへの克服と人間が「生きたい」という生存の権利の意味が含まれている。それは単に長寿や繁栄としての象徴にとどまらず生存の権利の主張というメッセージでもある。非戦闘員を含む無差別大量虐殺時代の幕開けとなった20世紀以降、折り鶴は原爆被害者だけでなく、世界のいずこであろうとも、人間として生きる権利という意味を持ち合わせることになったのである。

 サダコストーリーでは「生きたい」という思いが描かれる禎子だが、父の事業回復のためにも折り鶴を折った。家族のため、他者のために生きた証しであり、禎子自身が平和のメッセンジャーであったことを付け加えておきたい。

 オバマ大統領の広島訪問の意味を折り鶴の翼に乗せて、キノコ雲の下の出来事が新たに発信され始めた意義は大きい。来年3月に原子爆弾製造の地、米国ロスアラモスで、私の父が被爆体験を語るドキュメンタリー映画「ノーモア広島ノーモア長崎」の上映会と併せて新作を発表する予定である。そこで大統領の折り鶴をテーマにしたい。

 69年広島市生まれ。現代美術作家。東京造形大造形学部卒、東北芸術工科大大学院修了。父親が爆心地から2・5キロで被爆し、米核物理学者を父に持つ画家ベッツィ・ミラー・キューズさんと共同制作。「芸術平和学」の研究者でもあり、15年京都造形芸術大文明哲学研究所准教授。

(2016年8月6日朝刊掲載)

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