×

ニュース

被服支廠活用 なお不透明 広島県の構想白紙化から10年 早急な検討望む声

 広島市内で最大級の被爆建物、旧陸軍被服支廠(ししょう)(南区)の活用策が決まらない。4棟中3棟を所有する広島県はかつて、ロシアのエルミタージュ美術館の分館誘致構想で候補地に挙げたが、白紙となって9月で10年になる。県は、歴史的な価値は認めるものの、耐震化に必要な多額の費用を理由に道筋を示せずにいる。被爆71年を迎え、見学が相次ぐなど存在感はむしろ増しており、早急な検討を望む声が上がっている。(樋口浩二)

 「これが爆風でゆがんだ鉄扉です」。4日、県内の教職員たちでつくる広島平和教育研究所(東区)が主催した「戦跡をたどるフィールドワーク」。旧被服支廠の前で、参加した12人は建物の歴史に詳しい案内役の説明を受けながら、赤れんがの外壁を見て回った。

 旧被服支廠は近年、市民団体などの平和学習のコースに組み込まれるなど見学者数は右肩上がりで推移。敷地内の見学者数は昨年度、過去最多の848人に上った。

 一方、築100年を超えた建物は天井のコンクリートが欠け落ちるなど老朽化が進んでいる。元中学教諭で広島県原爆被爆教職員の会会長の江種祐司さん(88)=広島県府中町=は「旧被服支廠は被爆の事実をとどめる貴重な生き証人。地震で壊れてからでは遅い。一日も早く保存の協議をしてほしい」と県と、もう1棟を所有する国に求める。

 しかし、行政の動きは鈍い。県は2006年9月、エルミタージュ美術館の分館誘致の見送りを表明。以来、活用の方向性さえ示せない状況が続く。

 「最大のネックは保存に必要な費用」と県財産管理課。内部を一般開放するには安全面から耐震化が必要と説明し、費用は「1棟当たり21億円かかる」(同課)という。活用策が不透明な中、県は今年4月、美術館の分館誘致構想の検討などのため引き受けていた、国所有の1棟の管理権を返還した。

 国は昨年度、被爆建物の保存を支援する制度を新設したが、補助の上限は2千万円。自民党の「被爆者救済を進める議員連盟」は今月1日、旧被服支廠の保存支援を初めて政府に求めることを決めた。

 市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」代表で、建物内で被爆者の救護に当たった中西巌さん(86)=呉市=は「旧被服支廠は、内部で息絶えた人たちの墓標でもあると思う。われわれ被爆者がこの世からいなくなっても、被爆の惨状を伝え続ける存在であってほしい」と願う。

旧陸軍被服支廠
 爆心地から南東約2・7キロ。旧陸軍兵の軍服や軍靴を製造していた施設。L字形に並ぶ現存の4棟はいずれもその倉庫で、1913年完成。鉄筋造3階建ての赤れんが張りで、国内最古級のコンクリート建造物でもある。戦後は広島大の寮や日本通運の倉庫として利用されていたが、95年以降は使われていない。広島県が52年、県立広島工業高の校舎に使うため、3棟を国から取得した経緯があり、3棟は県、残る1棟を国が所有する。

(2016年8月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ