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社説・コラム

『言』 核廃絶と米世論 戦争否定の声をもっと

◆広島市立大教授 ロバート・ジェイコブズさん

 被爆71年の原爆の日を迎えた広島では、オバマ米大統領の訪問を評価する声がいまだ強い。一方、国際社会の場では、核兵器廃絶の道は遠いままである。広島に移り住んで11年、核を巡る米国の世論や大衆文化に詳しい広島市立大広島平和研究所のロバート・ジェイコブズ教授(56)に、現実の政治と被爆地の願いとの溝をどうすれば埋められるのかを聞いた。(聞き手は論説委員・東海右佐衛門直柄、写真・今田豊)

  ―被爆地で研究を続ける原点に、幼いころの体験があるそうですね。
 米国シカゴの小学校で毎月、「ダック・アンド・カバー」という訓練がありました。核兵器が使われた時の対処法を練習するのです。「すさまじい閃光(せんこう)」と先生に言われ、皆が一斉に床に伏せました。「もうすぐ死ぬんだ」と怖かった。1950年代から60年代の米国ではこんな訓練が広く行われていたのです。核戦争の恐怖が頭から離れなくなり核兵器に関する本を読みあさりました。10代になると反核運動に参加し、核兵器をなくさなければという意識が強くなった。広島に来るのは必然だったように思います。

  ―平和研究所では、何をテーマにしているのですか。
 核兵器がいかに悲惨な結果をもたらし、米国の文化や社会にどう影響を与えたのかを研究しています。また「グローバル・ヒバクシャ・プロジェクト」という運動を通じ、世界の核被害者をつなぐ取り組みについて調査しています。ビキニ水爆実験に巻き込まれたマーシャル諸島の若者を語り部に育て、広島の若者らとインターネットテレビ電話「スカイプ」を通して交流してもらっているのです。

  ―オバマ氏訪問を米国人としてどう考えましたか。
 歴史的な出来事でした。米国のマスコミも非常に好意的に伝えました。ただ私は、核政策をどう変えていくのか、廃絶への道筋を一切言わなかった点には失望しています。

  ―「核兵器なき世界」はすぐには難しい、と。
 広島は米国にとって二つの意味があります。原爆による悲劇の街として知られる半面、冷戦期には核兵器を増やす「口実」に使われてきました。「ヒロシマ化」を避けるためにソ連よりも圧倒的な核兵器を持たなければ、と米政府は国民をあおってきたのです。そして今また過激派組織「イスラム国」(IS)の脅威を背景に、核兵器が再びクローズアップされつつある。被爆地にはショックかもしれませんが、広島の悲劇を理由に、核兵器の必要性を唱える意見は米国で依然強いのです。

  ―大統領が被爆地を訪問しても米国の世論に大きな変化はないのでしょうか。
 日本では、オバマ氏の広島訪問で核廃絶の動きは前進した、との論調があります。残念ながら楽観的に過ぎるのでは。多くの米国人は、核兵器がなくなればいいとしながらも、核保有の選択肢は残すべきだと思っています。銃保有の論理と同じです。皆が銃を使いたいと思っているわけではないが、いつか必要になるかも、と多くの家庭が銃を持っているのです。

  ―このままでは核兵器廃絶の願いが保有国には浸透しないのでしょうか。
 被爆地が照準を合わせるべき核廃絶の「敵」は極めて巨大であることをもっと意識すべきです。たとえ米国の大統領が廃絶を唱えても、現実の政治や軍事システムは簡単には変わりません。政界に力を及ぼす巨大な軍需産業や核抑止を信じる世論が壁なのです。対抗するためには核兵器の非人道性を訴えるだけでは不足していると感じます。

  ―どういうことでしょう。
 もっと社会全体の幅広い道徳観を軸に訴えるべきだと思うのです。米国では、中間層の暮らしが衰退し、将来を悲観する人が増えています。一方、米政府は核兵器の近代化で今後30年間に1兆ドル(約100兆円)もかける予定です。暮らしが犠牲にされていいのか。軍事より教育や医療ではないか。そんな視点から、戦争や軍事力を否定する国際世論に訴えることも重要です。被爆地がそうした考えの世界の人々と連携すれば、さらに大きなうねりが生まれるのではと考えます。

 米シカゴ出身。イリノイ大で博士号取得後、05年に来日し広島平和研究所講師に。16年から現職。専門は歴史学で、核戦争の歴史と文化、核被害者などを研究する。著書に「ドラゴン・テール 核の安全神話とアメリカの大衆文化」など。

(2016年8月8日朝刊掲載)

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