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にぎわう旧中島地区 思い出忘れないで 同級生3人が「同窓会」 

 今の広島市中区の平和記念公園にあり、原爆で壊滅的な被害を受けた旧中島地区の元住民、土井美代子さん(86)=安佐北区=が6日、平和記念式典を終えた公園を訪れた。中島国民学校(現中島小)の同級生だった鉄村京子さん(86)=中区、松本秀子さん(86)=呉市=も同行。「ここにおったんよね。家族が、友達が」。人の営みにあふれていた「古里」の記憶をたどった。

 原爆慰霊碑のやや南東の緑地に「材木町跡」と刻まれた石碑が立つ。洋品や建材、たばこの店が並ぶ繁華街だった。爆心地から約500メートル。式典後、人波の絶えない中、3人は異口同音に言った。「みんな家族を原爆で失った。平和公園はお墓みたいな場所」

 土井さん方は碑のすぐそばにあった。あの日の朝、臨月だった母三好ヨシ子さん=当時(37)=と弟妹4人がそこにいて犠牲になった。自らは広島女子商(現広島翔洋高)2年で、胡町(現中区)の広島貯金支局分室で被爆。やはり舟入(同)の勤め先にいて逃れた父の茂さん(1980年に76歳で死去)は、自宅跡で妊婦の腹帯が残った白骨遺体を見つけた、という。

 土井さんは、公園そばの墓地で家族を弔った後、2人の同級生と昼食を共にし、ささやかな「同窓会」を開くのを原爆の日の恒例にしてきた。この日も、公園を訪れる前、思い出話に花を咲かせた。松本さんは同じ材木町に、鉄村さんは東隣の天神町に暮らしていた。中島地区一帯では約4400人がいた。

 この5月にオバマ米大統領が踏んだその地を歩きながら、土井さんは言った。「ここは最初から公園だったわけじゃない。そのことだけは忘れないでほしいよね」(和多正憲)

(2016年8月7日朝刊掲載)

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