×

ニュース

「命大切に」引き継ぐ 広島原爆の日 島根県内 追悼式や被爆者の証言聞く

 広島市に原爆が投下されて71年となった6日、島根県内でも追悼式や被爆者の証言活動があった。(松本輝、秋吉正哉、森田晃司)

●江津

 江津市有福温泉町の地域コミュニティ交流センターであった追悼式には、町民ら約40人が参列した。午前8時15分、全員で黙とう。旧有福温泉小の児童が2004年に原爆被爆者有福温泉療養研究所「有福温泉荘」(13年末閉鎖)へ贈った、平和を願うハトのちぎり絵に献花した。

 続いて地元コーラス団と児童計23人が「アオギリのうた」を合唱。オバマ米大統領が広島を訪問する前日の5月26日、修学旅行で平和記念公園(広島市中区)を見学した川波小6年李優さん(11)、和崎有桜さん(12)が「戦争の恐ろしさを実感した。改めて命を大切にしようと思った」と決意を述べた。

●松江

 松江市学園南1丁目の原爆慰霊碑前では、県原爆被爆者協議会(原美男会長)などの被爆者や被爆2世たち18人が黙とうした。県被爆二世の会(松浦広昭会長)のメンバーと清掃した慰霊碑に花をささげた。

 広島市南区霞町にあった広島陸軍兵器補給廠(しょう)で被爆した松江市原爆被爆者協議会の小林敏雄会長(92)は「慰霊碑ができた20年前、集まる被爆者は約30人いたが今では数人。記憶を後の世代に引き継がなければ」と話した。

●浜田

 浜田市西村町の大麻公民館では、いずれも同市の古原ユキエさん(91)と田中悦子さん(87)が「あの日」の体験を語った。市民らが企画した「8・6平和のつどい」の一環で、約20人が聞き入った。

 大野陸軍病院(廿日市市)の看護師だった古原さんは「5歳の女の子は私が抱っこしたまま亡くなった。生き地獄だった」と被爆者の看病を振り返った。

 田中さんは腕の皮膚が垂れ下がるほどのやけどを負い、避難先では「次は私が死ぬ番かなと思っていた」と証言。「私たちの話を記憶にとどめ、子どもたちに伝えてほしい」と呼び掛けた。

(2016年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ