×

社説・コラム

『私の学び』 「日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族」の著者・深谷敏雄さん

家族裂く戦争 語り継ぐ

 私には戦争を語り継ぐ責任がある。2015年に99歳で亡くなった父、義治は旧日本軍のスパイとして中国に潜伏した罪で、中国当局に20年余り拘束された。帰国後も、家族の苦難は終わらなかった。父の生きた証しを6年かけて本にまとめた。

 父が中国に潜伏中、現地の女性と結婚し、もうけた3男1女の次男が私だ。普通の中国人として育った。父が逮捕されたのは1958年。10歳の私は近所の人や学校の同級生から「日本の鬼の子」と迫害された。家族と帰国したのは78年。父の故郷、大田市での暮らしには、言葉の壁が立ちはだかった。生活のため、帰国の7日後から働き始めた。

 最初に勤めた瓦工場では、作業着の腕や太ももに日本語を書き、仕事をしながら暗記した。洗濯で文字が消える頃には、単語が頭に入っていた。京都でタクシー運転手をしていた頃は、乗客との会話が訓練。日常会話に不自由はないつもりでも、発音の間違いで「外国の人ですか」と聞かれてしまう。悔しかった。

 日本語が不自由だった私が本を出すに至ったのは「父と家族の悲劇を歴史の闇に葬り去ってはいけない」との一念からだった。父は国の名誉を守るため、拘束中に戦後のスパイ活動を白状しなかった。しかし、帰国後、日本政府はスパイ活動を父に指示した事実を認めず、父の軍人恩給は何者かに横領されて経済的に苦しんだ。父は獄中での日記を基に自分の人生を本にしたいと思っていたが、視力の低下でかなわなかった。「父に代わって書く」と伝えると、父は何も言わず涙を流した。

 しかし、いざ筆を執ると、ふさわしい表現が分からない。広島市内の公民館の日本語教室を回り、書いたものを見てもらうことにした。ボランティアの皆さんにアドバイスをもらい、何度も書き直した。原稿用紙は厚みを増し、出版社の目に触れて刊行した本は400ページを超える大作になった。

 読者から「このような歴史を初めて知った」などと感想の手紙をもらった。「家族を引き裂く戦争を繰り返してはいけない」という父と私の願いは、多くの人に届いている。(聞き手は新谷枝里子)

ふかたに・としお
 中国・上海生まれ。1978年に家族6人で日本に帰国し、翌年、日本国籍を取得した。タクシーやトラックの運転手として勤務し、89年から広島市東区在住。初めての著書「日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族」を2014年12月に出版した。

(2016年8月8日朝刊掲載)

年別アーカイブ