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社説・コラム

『私の学び』 漫才師・島田洋七さん 

「働け」ばあちゃんの口癖

 生きる上で大切な事は亡くなったばあちゃん(祖母徳永サノさん)に教わった。物心が付く前に父を亡くし、うちは母、兄との3人暮らしだった。いきなり佐賀市の母の実家へ預けられたのが、幟町小(広島市中区)1年生の終わりごろ。中学を卒業するまで仕事で忙しい母に代わって、ばあちゃんが育ててくれた。

 小1の頃といえば、戦争が終わってまだ10年余り。旧広島市民球場(同)そばの川沿いには、バラック建ての家が立ち並んでいたのを覚えている。佐賀も同じ。バラック住まいの友達がいたし、うちも貧乏だった。でも悲惨さを感じたことはない。ばあちゃんがとにかく明るかったから。

 口癖は「人はまず働け。働けば米、みそ、しょうゆ、友達、信頼まで付いてくる」。ばあちゃん自身、40代で夫を亡くし、清掃員をしながら子ども7人を育てた。勉強しろと言われたことはないが、あいさつには厳しかった。「人に迷惑を掛けてはいかんが、人に嫌われても気にするな」とも。自分に都合が悪い相手を嫌うような人もいる。だから周囲に惑わされるな、と。

 その言葉通り、芸能界でも長い物に巻かれることなく思うがままにやってきた。いっとき、本物のスターにもなった。テレビの司会もおしゃれなコマーシャルもやった。レコードもブロマイドも売れた。成功できたのは人に恵まれたから、とも思う。(笑福亭)仁鶴師匠、三枝(現桂文枝)師匠、やすきよ(横山やすし・西川きよし)師匠、中田カウス・ボタン師匠…。芸を学ばせてもらった。いい教科書がいっぱいあった。

 たけし(映画監督でタレントの北野武さん)にも支えられた。ばあちゃんの話をしたら、泣き笑いしながら「本にしろよ」と。当初の題名「振り向けば哀(かな)しくもなく」も彼が付けてくれた。出版社に軒並み断られ、3千部を自費出版。その後また、たけしの勧めで再版したら出版社の目に留まり、「佐賀のがばいばあちゃん」として知られるように。人の助言も聞いてみるものだと、つくづく思う。

 26、27年前に講演活動も始め、実施回数は4700回を超えた。われながらいろいろ経験してきたと思う。人生一度きりだから遠回りしてでも好きなことをしないと。これも、ばあちゃんの教えです。(聞き手は田中美千子)

しまだ・ようしち
 広島市中区生まれ。漫才コンビ「B&B」として活躍し、1980年代の漫才ブームをけん引。執筆、講演活動にも取り組み、著書「佐賀のがばいばあちゃん」シリーズはベストセラーに。「がばい」は「すごい」を意味する佐賀の方言。

(2016年8月15日朝刊掲載)

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