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社説・コラム

社説 戦没者追悼式 「不戦の誓い」を今こそ

 日本はきのう71回目の終戦の日を迎えた。70年の節目から1年の間に、戦後の平和国家が培ってきたものが揺らぎかねない状況が生じてきた。

 集団的自衛権の行使容認を含めた安全保障関連法が3月に施行され、本格運用が始まろうとしている。さらにいえば参院選の結果を踏まえた改憲論の高まりは平和憲法のありようと決して無関係ではない。

 その中で営まれた全国戦没者追悼式で注目されたのは、過去の戦争と向き合う言葉がどのように発信されるかだった。

 生前退位の意向を示唆されたばかりの天皇陛下は昨年に続き、お言葉で「深い反省」という表現を使われた。陛下が自ら執筆し、例年ほぼ同じ表現が続いていた。しかし戦後70年の昨年は「さきの大戦に対する深い反省」など従来にはない文言が加えられ、驚きをもって受け止められた。今回は基本的な構成こそ定型に戻したが「反省」の表現が残ったことになる。

 ことしも戦没者や遺族にとどまらず、先の戦争で犠牲になった全ての人々を追悼する心がにじみ出たのではなかろうか。

 それに比べ、安倍晋三首相が追悼式で読み上げた式辞は物足りなさを感じる。過去の首相が式辞に盛り込んでいたアジア諸国への加害と反省についての言及を4年連続で見送った。

 戦後70年の安倍談話では歴代首相の言葉を引用する形ながらアジアへの「おわび」や「痛切な反省」という言葉が盛り込まれた。中国や韓国などの被害を意識し、一定の評価を得たのも確かだろう。

 今回の式辞では「歴史と謙虚に向き合う」とは述べたが、過去の戦争と植民地支配の歴史を直視する姿勢をもっと明確に示すことが大切だったはずだ。

 もう一つ、ことしもまた「不戦の誓い」を明言しなかったことも気になる。確かに「戦争の惨禍を決して繰り返さない」と述べたものの、焼け跡の教訓から生まれた過去の式辞の表現をなぜ踏襲しないのだろう。積極的平和主義の名の下に他国の戦争に関与する可能性を広げつつある現政権のスタンスを考えると、「不戦」を口にする意味はかつてなく重いはずだ。

 夏の参院選で憲法改正に賛同する勢力が衆参両院で国会発議に必要な「3分の2」以上を得た。首相自身が憲法改正には強い意欲を見せ、秋の臨時国会にも与野党の議論が本格化しようとしている。

 今のところ戦争放棄をうたう9条にすぐ手を付けるのは困難という受け止めが与党内に強いが、自民党として大きな目標に据えていることには変わりはなかろう。2012年に策定した党の憲法改正草案では日本国憲法前文にある不戦・平和の誓いがほとんど削除されている。

 だからこそ先の大戦の反省を踏まえた平和憲法の原点を見据えたい。そして9条を変えるのではなく守るための議論を尽くすべきである。

 きのう遺族代表として追悼の辞を述べた東広島市の小西照枝さん(74)は「再び悲惨な戦争を繰り返すことなく、世界の平和、命の大切さをしっかり後世につなぐべく、たゆまぬ努力をいたします」と決意を述べた。こうした声に耳を傾けながら、不戦の誓いを今こそ新たにしなければならない。

(2016年8月16日朝刊掲載)

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