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原田空襲「調査研究を」 記録発見で住民や尾道市 新しい市史 資料充実図る

 1944年11月11日、県内で初めて空襲に遭った尾道市原田町(旧御調郡原田村)。原田小の学校沿革誌に記されていた空襲については、地元でも詳しく語り継がれていなかった。当事者がつづった記録の発見を受け、住民や市はさらに調査研究を深めるとしている。(村島健輔)

 同市栗原西の林泉さん(79)は、学校沿革誌に「林訓導宅」と書かれた実家で、空襲を体験した。友人が「スズメが雲に穴を開けて落ちてくる」と言うのを聞いた直後「ドカン」という音と、衝撃を感じたという。

 実家は無事だったが、約150メートルほど離れたところにあった小屋が吹き飛び、衝撃で舞い上がった土が落ちてきたことを記憶している。「とにかく恐ろしかった。硫黄臭さが何日たっても消えなかった」

 原田小の学校沿革誌には、同日午後以降、軍や警察などの調査や視察が相次いだと書かれている。林さんも「福山から馬に乗って軍人が来たり、多くの人が訪れた」と証言する。

 74年に発行された原田小の創立100周年記念誌には、当時の校長の回顧として、学校から100メートルほど離れた東方の谷から黒い煙がパッと立ち上がり、防空ずきんをかぶった女性が「火たたき」で消火したという記述もある。  同町の文化財や史跡を調査している原田町歴史・文化同好会の佐藤守会長(91)は「B29が山林の中にある校舎を軍事施設と誤認して焼夷(しょうい)弾を落としたのでは」とみる。同町では、空襲があったことは知られていたが、詳細は伝わっていないという。今回の発見を受け「山間部でも空襲があったことを伝えるため、研究を進めたい」と話す。

 市は市政120周年を迎える2018年度から28年度にかけ、新しい市史を発行する予定。空襲の記録があった原田小の学校沿革誌は、市史編さんの調査の中で見つかった。市史編さん事務局は「新しい市史では、近代以降が重要なテーマの一つ。資料の収集を充実させる」としている。

(2016年8月17日朝刊掲載)

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