日本遺産を巡る <2> ジャパンマリンユナイテッド呉事業所大屋根 呉市昭和町
16年8月18日
大和建造 歴史息づく
戦艦大和はここで生まれた。「大和のふるさと」。工場側壁の看板に、造船マンの誇りがこもる。
ドックは1992年に埋め立てられた。残る大屋根は長さ101メートル、幅63メートル、高さ49メートル。船体に使う鉄板を製造する工場として再利用されている。
ジャパンマリンユナイテッド(JMU)呉事業所の吉田淳管理部長(50)は大屋根を見上げてこう話す。「呉海軍工廠(こうしょう)から続く造船業の歴史の下で生きていると感じさせてくれる」
大和は全長263メートル。当時世界最大級の戦艦の建造は最高機密だった。大屋根は、海岸線に迫る低山からドックを見下ろせないように架けられた。
大屋根の長さは船体の半分に足りないが、視線を十分に遮ることができた。側面にはすだれを垂らしていた。この大屋根の下では、長門や赤城などの大型艦も建造された。
大屋根と呉港が見下ろせる場所はいま「歴史の見える丘」として、家族連れやお年寄りが散策を楽しむ場として親しまれている。(今井裕希)
(2016年8月18日朝刊掲載)
戦艦大和はここで生まれた。「大和のふるさと」。工場側壁の看板に、造船マンの誇りがこもる。
ドックは1992年に埋め立てられた。残る大屋根は長さ101メートル、幅63メートル、高さ49メートル。船体に使う鉄板を製造する工場として再利用されている。
ジャパンマリンユナイテッド(JMU)呉事業所の吉田淳管理部長(50)は大屋根を見上げてこう話す。「呉海軍工廠(こうしょう)から続く造船業の歴史の下で生きていると感じさせてくれる」
大和は全長263メートル。当時世界最大級の戦艦の建造は最高機密だった。大屋根は、海岸線に迫る低山からドックを見下ろせないように架けられた。
大屋根の長さは船体の半分に足りないが、視線を十分に遮ることができた。側面にはすだれを垂らしていた。この大屋根の下では、長門や赤城などの大型艦も建造された。
大屋根と呉港が見下ろせる場所はいま「歴史の見える丘」として、家族連れやお年寄りが散策を楽しむ場として親しまれている。(今井裕希)
(2016年8月18日朝刊掲載)