×

社説・コラム

歴史の現場 銀板写真に 木村伊兵衛賞の新井卓さん 広島で個展 

 昨年度の木村伊兵衛写真賞を受賞した新井卓(たかし)さんは、1839年に発明されたダゲレオタイプ(銀板写真)と呼ばれる撮影法で作品を生み出す。広島市中区橋本町のギャラリー交差611で開いている個展「広島/明日の歴史のために」には、原爆ドームや広島上空を写した銀板が静かに並んでいる。

 デジタルカメラ全盛の時代にあって、原爆ドームの画像はネット空間をはじめ、既に世の中にあふれている。角度や陰影をどんなに変えても、特別な感興を抱くことは少なくならざるを得ないだろう。

 構図としてはありふれた全体像の、縦19センチ、横25センチの銀板に収まった原爆ドームはどうだろう。作品の前に立つと、「見ること」そのものを意識させられる。銀板には高画素のデジタル写真のような鮮やかさはない。見ている自分が鏡のように映り、鑑賞の妨げになることもある。観察者は右へ左へ顔や体を動かし、細部を見ようとしなければ、見えない。

 銀のプレートに直接像を写し取るダゲレオタイプは、世界最古の写真技法といわれる。文献などを頼りに独自に技法を習得した新井さんの撮影工程は、全て手作業だ。銀板の表面を磨くなど準備に数時間かかる一方、一定の時間内で撮影も現像も終える必要がある。作品は複製できず、それぞれ一枚限りしかない。

 写真の役割の、大きな一つが記録だろう。金属の板に焼き付けられたこの原爆ドームの「ポートレート」は、プリントやデジタル画像にはない妙な生々しさをたたえながら、今後200年はこの姿をとどめるという。新井さんは「即時性のある写真は一気に拡散するが、見失われるのも早い。後世に伝える役割で、銀板写真だけができる仕事がある」と語る。

 原爆がさく裂した高度とそろえるようにして比治山(南区)から写し込んだ太陽、史上初の核実験場となった米トリニティ・サイトの風景、死の影のように焼き付いた長崎のタンポポ…。1978年生まれの新井さんは「戦争を知らない世代が、どうしたら戦争を知ることができるか」と自らに問う。歴史の現場を見、時空を超えて伝える意思を、小さな銀板に託すように聞こえた。同展は25日まで。(上杉智己)

(2016年8月20日朝刊掲載)

年別アーカイブ