×

証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 石川律子さん―孤児の寂しさ 胸に秘め

石川律子(いしかわ・りつこ)さん(72)=広島市西区

本川小からの原爆ドーム。父の存在を実感

 爆心地から約410メートル西にある本川小(広島市中区)。石川律子さん(72)は、ここに教諭(きょうゆ)として着任した翌年の1991年夏、校内から近くの原爆ドームを見てハッとしました。「父も、この光景を見たかも」。30歳で被爆死した父正(さだむ)さんは、本川小の前身の本川国民学校の教員でした。父の視線を想像し、目の前の光景と重ねた時、涙(なみだ)が止まらなくなりました。記憶にない父の存在を初めて実感できたからです。

 1歳の時、爆心地から約3・5キロの己斐町(現西区)の自宅で被爆しました。一緒にいた祖母キヌさん(76年に84歳で死去)の話では、空が急に明るくなった後、爆風に襲(おそ)われ、近くの防空壕(ごう)へ駆(か)け込んだそうです。自宅にいた母敏子さんや2歳の姉も無事。5日前に生まれた妹はベビーベッドごと吹き飛ばされましたが、けがはありませんでした。

 祖母は3日後、父を捜(さが)しに学校へ行きました。しかし見つかりません。後日、父は学徒動員の引率者として、爆心地付近の広島郵便局へ行っていたのが分かりました。「見つけてやれんかった」。祖母のつぶやきが今も耳に残ります。

 3歳ごろからでしょうか覚えているのは自宅内側の壁に残る黒い雨の跡(あと)です。柱時計を見るたびに黒い筋が目に入り、不気味でした。

 己斐小3年だった53年、被爆してから伏(ふ)せりがちだった母が33歳で亡くなりました。孤児(こじ)になりましたが、祖母から「親はいないものと思いなさい」と言われて育ち、寂しさは心にしまいました。ただ、「母の日」に小学校でカーネーションが配られた時は、母のいないことが身にしみました。

 当時、広島大の森滝市郎教授たちが原爆孤児を対象にした「精神養子運動」を進めていました。6年の時に精神親となった京都市の河崎洋子さん(2013年に86歳で死去)は、おしゃれで憧(あこが)れの女性でした。毎月届く千円で勉強を続け、庚午中、国泰寺高の定時制、広島商科大(現広島修道大)を卒業しました。

 父の写真は、母が戦後全て焼いたので、見たことがありませんでした。小学校教諭になり、本川小に勤め始めた90年、創立100周年記念誌で初めて父の写真を見ました。それでも「こんな人だったんだ」としか受け止められず、ピンときませんでした。しかし翌年の夏、教室に向かう途中、あの原爆ドームを見て、自分に父がいたことがようやく実感できたのです。

 その後、己斐小の校長を務めていた99年、原爆投下の6年後に児童34人が書いた被爆体験集を校内の倉庫で見つけました。「お父様が夕方になっても帰ってこられません」…。一人一人があの日、強烈(きょうれつ)な体験をしたことがにじみ出ていました。現在も同小で続く、8月6日のピースメモリアルセレモニーは、この作文集を書き写した児童の提案で2000年に始まりました。

 04年3月―。退職の日、仏前で父に「無事に終えました」と報告しました。32年間の教員生活で、児童が事故や病気で命を落とさなかったのは「父が見守ってくれたから」と思います。

 被爆証言を始めたのは12年、世界を巡る非政府組織(NGO)「ピースボート」の船に乗り、話したのがきっかけでした。今も保育園や小学校で自分で描いた絵を見せて、語り掛(か)けます。

 「核兵器は親のいない子どもを理不尽(りふじん)に生む。広島の人は平和について感じたことを、自分の言葉で伝えてほしい。人はそれぞれ考え方が違(ちが)うからこそ、言葉を尽(つ)くして話さないといけない」(山本祐司)

私たち10代の感想

同じ年の体験文に衝撃

 己斐小の児童が、被爆した先輩(せんぱい)の作文集を読み心を動かされたと聞き、「夏雲」を思い出しました。私の母校の先輩や保護者が被爆体験を書き留めた一冊です。家の机の上にあった夏雲を久々に手に取りました。自分と同い年で被爆した人の文章は胸に迫(せま)ります。生きている喜びと戦争のない世界の大切さを感じました。(中3平田佳子)

悲観せぬ姿 心打たれた

 石川さんは、孤児としてのつらさを感じなかったそうです。戦後は誰も余裕がなく、むしろ「自分は恵まれていた」と言います。悲観せず強く生きる姿に心を打たれました。話を聞くうち、同世代の祖母の境遇(きょうぐう)を思い出しました。たくましく生きる2人の女性を尊敬しています。勇気をもらい、命の大切さを教わりました。(中3プリマス杏奈)

平和の尊さ伝えていく

 「伝えることが大切」と話す石川さん。事実を知らなければ、自分の言葉では戦争や原爆は語れません。いま私は「高校生平和大使」として活動、国内外の人と触れ合う機会に恵まれています。被爆の実態を学び、積極的に話し掛けようと思います。戦争と原爆の恐ろしさ、平和の尊さを伝えていく決意を強くしました。(高1岡田実優)

(2016年8月22日朝刊掲載)

年別アーカイブ