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2世部会拡大に力 広島県被団協定期総会

 広島県被団協(坪井直理事長)は1日、広島市中区で定期総会を開いた。被爆者の高齢化が進み、会員が減少する中、被爆2世部会の拡大などを盛り込んだ本年度の活動方針を決めた。

 各地の被爆者の会の代表たち72人が出席。活動方針には、被爆体験を継承する担い手として各組織の被爆2世の会の拡大に努めることを盛り込んだ。福島第1原発事故を踏まえ、「核兵器だけでなく核がもたらす脅威を発信する」こともあらためて確認した。

 昨年実施した被爆2世へのアンケート結果の中間報告もあった。対象とした約3千人のうち965人が回答。このうち507人(52・5%)が「健康不安を感じる」と答えた。7月中に最終報告をまとめるという。

 役員改選では、昨年9月から空席だった事務局長に、広島県北広島町原爆被害者の会会長の箕牧(みまき)智之氏(70)を選んだ。会員の減少で運営費の確保が難しくなったとして、年会費を500円から千円に引き上げることも決めた。(田中美千子)

『この人』 広島県被団協の事務局長に就任した 箕牧智之さん

被爆地の声 発信に全力

 「残された人生、被爆者のために全力を注ぐ」。事務局長就任が決まった広島県被団協(坪井直理事長)の総会で力強く宣言した。

 「あの日」は同県飯室村(現広島市安佐北区)の自宅で迎えた。当時3歳。翌日から3日間、母に連れられ、帰ってこない父を捜して入市し、被爆した。

 小学生のころは体調不良が続いた。定時制高校の学費は農林業などの手伝いで稼いだ。「とにかく生きるために必死。被爆者の自覚はなかった」

 鋳物会社に就職。結婚を機に1968年、豊平町(現北広島町)に居を構えた。被爆者運動とは無縁だった。周囲に推され99年、町議に初当選。今も北広島町議を務める。

 転機は2005年。前任者から推され、北広島町原爆被害者の会の会長に就いた。

 原爆症の認定申請を手伝うため、初めて高齢の被爆者の体験を聞いて回った。あの夏、ぼろぼろの身なりで自宅近くに逃れてきた被爆者の姿を思い出した。幼い時のかすかな記憶が、原爆に向き合う覚悟を迫ったように思えた。

 10年、米ニューヨークでの核拡散防止条約(NPT)再検討会議に参加。街中を練り歩くと沿道の市民が一緒に戦争反対を叫んでくれた。「平和への願いは必ず伝わる。発信し続ける大切さを思い知った」と振り返る。

 広島県内の被爆者の平均年齢(11年3月末現在)は77・8歳。老いとの競争に「負けるつもりはない」。被爆者の思いを、被爆地から訴え続ける責任をかみしめる。北広島町で妻や次男一家と暮らす。(田中美千子)

(2012年6月2日朝刊掲載)

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