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社説・コラム

天風録 「たきつけたのは誰か」

 「戦場というのは煮えたぎる釜の中みたいなもの」と「不戦兵士の会」の創設者、亡き小島清文氏が回想していた。当事者にとっては、中でもがいた実感が強烈で、たき付けたのは誰かが分からないのも無理はないんだ-▲フィリピンの密林で命を賭して敵に投降した体験を持つ元海軍士官。氏の表現でいえば、激戦地の釜の縁にはい上がり、たき付けた連中が見えたという。おそらくは「大本営発表」が覆い隠した真実を知らされたのだ▲戦後は父親の事業を手伝って、浜田市で週刊新聞「石見タイムズ」の主筆に。「地方からの民主化」を掲げ、26年間紙齢を重ねる。今は復刻版で、その息吹に触れることができよう▲きのうは71回目の終戦の日。没後30年になる作家島尾敏雄氏の自伝的小説「魚雷艇学生」を読み返した。主人公が「自分の命が甚だ安く見積もられたと思った」と落胆するのは薄汚れた板張りの特攻艇を見た時である▲幸い島尾氏は出撃することなく終戦を迎えた。国家によって国民の命がかくも軽んじられた時代は71年前で終わったと信じたい。戦場という「煮えたぎる釜」はごめんである。天の不戦兵士たちもきっと、目を光らせてくれている。

(2016年8月16日朝刊掲載)

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