×

ニュース

広島県初空襲を記録 1944年11月 小学校沿革誌に残る 尾道市原田

 1944年11月に広島県内で初めて空襲に遭った尾道市原田町(当時御調郡原田村)で、空襲の様子を記した文書が残っていることが15日、分かった。同市の市史編さん事務局が同町の原田小の学校沿革誌を調査し記述を確認した。これまでは広島県警の記録などで戦後の調査結果として掲載されていたが、当事者がつづった記録が見つかったのは初めて。

 市や関係者によると、沿革誌は1888年から年度ごとにつづられており、44年度の11月11日の項目に「午前十時B29一機飛来焼夷(しょうい)弾十二個を学校東方(エノキ谷)及林訓導宅附近江投下して西去す。職員数名消火に協力被害なし」との記載がある。焼夷弾の文字の横には重さとみられる「(二五〇K)」の表記もある。

 翌12日には広島県警防課の職員や付近の警察署から現場視察のため来校し、視察者は数日後まで絶えなかったと記している。

 原田町の空襲については「新編広島県警察史」(54年)が、46年11月の県警察部の調査結果を基に、B291機が原田村の山中に焼夷弾12発を投下、建物一部焼失が1件あったと記載。これが県内初の敵機空爆だとしている。県戦災史や県消防史にも同様の記載がある。

 県戦災史の編さんに携わった安藤福平・元広島県立文書館副館長は「当事者による貴重な資料。地域にとって大きな衝撃だったことが伝わる」と話している。(村島健輔)

(2016年8月16日朝刊掲載)

年別アーカイブ