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芸術家「平和訴え」飛行機で「ビカッ」の文字描く

 21日午前、広島市の上空に「ピカッ」の白い文字が飛行機で描かれた。東京の芸術家集団が、平和を訴える作品制作として原爆を意味する言葉を表現したという。だが、市民や被爆者からは「不快だ」「気持ち悪い」との声が上がった。市現代美術館(南区)も関連の現場に立ち会っており、その判断にも批判が出ている。

 目撃した市民によると、小型機がスモークを出しながら飛行し、一帯に「ピカッ」の文字が浮かんだ。西区の女性(28)は「『ピカドン』を連想させる。不気味だった」と不安感を訴えた。中国新聞社には問い合わせの電話が相次いだ。

 企画したのは芸術家集団「Chim↑Pom(チン↑ポム)」。独自にチャーターした飛行機は午前7時半から正午まで、断続的に上空を飛行。5回にわたり「ピカッ」と描いた。メンバーは平和記念公園(中区)から、原爆ドームと文字を一緒に収める構図で写真とビデオを撮影した。11月から市現代美術館で開く作品展に向けた創作活動という。

 リーダーの卯城竜太さん(31)は「問題になるのは予測していた。被爆者を傷つけたとしたら心が痛むが、若者と戦争を知らない世代の関心を呼びたかった」と主張する。

 平和記念公園での撮影には市現代美術館の学芸員も立ち会った。神谷幸江学芸担当課長は「悪ふざけではないと信頼している。作家の行為の是非について私が判断はできない」と説明。「どんな議論を生むか、そこが面白いところ。被爆者団体の意見がすべてではない」とも言った。

 これに対し、地元は批判を強めている。広島県被団協の坪井直理事長(83)は「独り善がりのパフォーマンス。平和の訴えにはつながらない」と憤り、市現代美術館に対しては「事前に適切な助言をする必要があった」と苦言を呈した。

 5歳で被爆した東区の画家入野忠芳さん(68)は「市は、東京や海外の芸術家が『ヒロシマ』や『原爆』をテーマにしているというだけで、無条件に作品を受け入れている印象だ」と指摘。現代美術に精通したフリーの学芸員(56)は「反感を買ってでも主張したいことがあるのなら、市民に事前告知するべきだった」と手法を疑問視した。

「真摯な謝罪すべき」 島本登夫・広島市市民局長の話
 原爆投下を想起させる行為は被爆者、市民の心情を著しく傷つけるもので断じて容認できない。真摯(しんし)な謝罪をすべきだ。現代美術館の職員もこの認識を持たなければならず、強く指導する。

「Chim↑Pom」(チン↑ポム)
 東京在住の若手芸術家6人で結成した。大都会のネズミを捕獲し、はく製にしてアニメのキャラクター、ピカチュウのように黄色くした「SUPER RAT」で反響を呼ぶ。2007年、広島市現代美術館の「新・公募展」に、カンボジアでの地雷撤去をモチーフにした作品を出し、大賞受賞。

(2008年10月22日朝刊掲載)



上空に「ピカッ」文字  市現代美術館が陳謝

 東京の芸術家集団が広島市上空に原爆を意味する「ピカッ」の文字を描いた表現行為で、学芸員が関連の現場に立ち会った市現代美術館(南区)の原田康夫館長は22日、「学芸員が知っていながら止めなかった。おわびしたい」と陳謝した。芸術家集団にも謝罪するよう促した。

 市、美術館を管理する市文化財団、美術館がこの日朝、対応を協議。市民局の島本登夫局長と酒井義法財団理事長が、美術館の神谷幸江学芸担当課長に「被爆者の感情への配慮が必要だった」と口頭で注意した。近く被爆者団体に謝罪する方針も決めた。

 この後、原田館長が、芸術家集団「Chim↑Pom(チン↑ポム)」のメンバーを美術館に呼んで市民に謝罪するよう求めた。了承したリーダーの卯城竜太さん(31)は「自分たちなりに時間をかけて(方法を)考えたい」と話した。

 さらに市と財団はチン↑ポムが11月1日から市現代美術館で開く個展を中止するかどうか検討を始めた。児童、生徒が作った折り鶴を使った新作も展示する予定である。

 協力している袋町小(中区)は「平和を願う児童の思いを大切にした作品なのか確認し、渡すかどうかを判断したい」と説明。美術館や市教育委員会にも他の複数の学校から問い合わせがあった。酒井理事長は「彼らの作品が市民に素直に受け入れられるかどうかを勘案し、開催是非を判断する」との見解を示す。  この日は市に4件の苦情や問い合わせが寄せられた。中国新聞社にも電話とメールが四件あった。「多くの人たちを傷つけるという想像をしていたとは思えない」などの批判が相次いだ。

(2008年10月23日朝刊掲載)



上空に「ピカッ」 被爆者から不快感 広島市立大の大井健地教授に聞く

■記者 田原直樹

 広島市上空に「ピカッ」の文字を描いた東京の芸術家集団による表現。被爆者や市民から不安と不快感を訴える声が上がった。広島市現代美術館も現場に立ち会っていた。肉親を亡くし、今も苦しむ被爆者を前にアートはどこまで許されるのか。現代美術に詳しい広島市立大国際学部の大井健地教授(美術史)に聞いた。

アートは対話の努力を 美術館にも説明責任

 -この表現行為に対する印象は。
 老いた被爆者の気持ちに配慮を欠いている。広島は「聖地」。特別な街ということを踏まえてほしかった。
 -問題があるとすればどんな点ですか。
 予告もなく「ピカッ」の文字を空に描けば、市民の不安をあおるだけ。被爆体験という心的外傷を持つ高齢者が発作を起こすなど、被爆者への「暴力」にもなり得た。
 -「表現の自由」という考えもありますが。
 例えば同じ文字でも「NO A-BOMB(原爆はいらない)」ならば、反戦のメッセージが伝わる。今回は制作意図が伝わらず、ただ騒ぎを起こし、挑発したかったと思われても仕方がない。
 -アーティストに求められるものは。
 公共空間で制作する場合、結果責任を負うのがアーティスト。これまでヒロシマをテーマに制作してきた多くの作家は、被爆者と会って話を聞き、事前告知し、市民とコミュニケーションをとるなど理解を得る努力をし、成功してきた。1994年に広島市中心部であった中国人作家の蔡國強(ツァイグオチャン)によるプロジェクトもいい内容だった。今回はそういう姿勢を欠いていたのではないか。
 -市現代美術館の学芸員が立ち会っています。
 学芸員の立ち会いは美術館として制作行為を認めたということであり、説明責任がある。事前に助言したり、広報に努めたり、対応できたはず。やり方によっては、市民に受け入れられる作品になり得たのに残念だ。
 -ヒロシマをテーマにした表現への影響はあるでしょうか。
 被爆地からのアート発信は大事だ。今回も原爆を取り上げようとした気持ちは評価したい。実験的な制作が萎縮(いしゅく)してはならない。作品が学習を重ねて洗練されていくように、美術館も今回の出来事に多くを学び、市民にアートを提示する姿勢や考えを深めていってほしい。

(2008年10月23日朝刊掲載)



「ピカッ」文字 芸術家集団が謝罪 リーダーと一問一答

■記者 武内宏介

 広島市上空に原爆を意味する「ピカッ」の文字を描いた表現行為について、東京の芸術家集団「Chim↑Pom(チン↑ポム)」は24日、広島市役所で被爆者団体の代表に会い、謝罪した。その後、リーダーの卯城竜太さん(31)が記者会見し、この間の経緯や謝罪した際の気持ちを語った。

 -謝罪の趣旨は。
 事前に被爆者や関係者と思いを共有しなかったことを謝った。悔やまれる。
 -表現行為の意図は何だったのですか。
 原爆ドームと上空に浮かぶ文字を写真とビデオで撮影した。「ピカッ」という文字は、被爆者のトラウマ(心的外傷)の象徴と考えた。人類のトラウマとして残さないといけない、と思った。映像にして、平和について想像させる作品にしたかった。
 -多くの人を傷つける結果が予測できませんでしたか。
 想像はしていたが、問題になった後、(市現代美術館の原田康夫館長から)聞いた被爆体験は想像を絶していた。被爆者の気持ちを理解しきれていなかった。
 -表現行為をするにあたり、市民の反発を招き、逆に表現の自由を規制する風潮を生みかねないとの懸念を持ちませんでしたか。
 さすがに考えたが、表現の自由を信じる信念から、乗り越えてやるべきだと思った。
 -ヒロシマを学んだことは。
 子どものころ、被爆者の話を聞いたり原爆資料館に行ったりする機会があった。ただ、制作に当たって勉強することはなかった。
 -美術館側とは事前にどのような相談をしましたか。
 4月末、空を光らせる案を美術館に提案した。学芸員は「広島では受け入れられない」との答えだった。その後、飛行機を飛ばし、スモークで字を書く方法を再提案したところ、事前周知をしないまま実行する「ゲリラでやるのがいい」と言われた。
 -作品は11月から始まる予定だった市現代美術館の個展に展示するつもりでしたか。
 10月に美術館に提出した企画書に「個展出品予定」と書いた。完成後、展示するかどうか美術館に決めてもらおうと考えていた。
 -個展を自粛する理由は。
 こういう事態の中で開くと作品とは関係のない議論が起こる。美術館と相談し、自粛を決めた。

(2008年10月25日朝刊掲載)

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