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連載・特集

緑地帯 ベルリン―ヒロシマ通信 柿木伸之 <3>

 ポツダム郊外のグリーブニツ湖畔に置かれた原爆犠牲者を追悼するモニュメントに立ち寄ったのは、バラク・オバマ米大統領が広島を訪れてから4日後のことだった。現職の米大統領が初めて広島を訪問する様子はインターネット上にも配信され、ベルリンでもリアルタイムで見ることができた。

 とはいえ、その中継映像には、虚(むな)しさを覚えずにはいられなかった。核の歴史を担う人物にふさわしい緊張感は、少なくとも映像からは伝わってこなかった。

 オバマ氏の広島訪問はドイツでも盛んに報じられたが、新聞などの論調は、日本のそれとはかなり異なっていた。例えば、週刊新聞ディ・ツァイトの記事は、「歓迎ムード」が戦争の記憶の忘却の上に醸成されていることを指摘していた。南ドイツ新聞の論説は、原爆投下という戦争犯罪に対する大統領の謝罪を恐れていたのは、米国の側よりも、むしろ被爆に至る侵略戦争の歴史に向き合おうとしない日本の現政権の側ではないか、という問いを提起していた。

 これらの議論は、原爆を問うことが戦争の歴史を問うことと表裏一体である点に、あらためて光を当てるものといえよう。そのことを看過した「和解」への安易な共感が、今まさに沖縄の人々がその暴力に晒(さら)されている、「安保法制」下の日米軍事協力としての「友好関係」の演出に利用されることが危惧される。

 ベルリン生まれのベンヤミンの洞察によれば、その先にあるのは、生きることが死者の記憶もろとも権力者の道具として使い尽くされることでしかない。(広島市立大准教授=広島市)

(2016年9月1日朝刊掲載)

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