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広島の文筆家・田辺耕一郎から 川端康成への書簡47通 詳細 あすから一部公開

 被爆者が集う「広島憩いの家」の運営に尽くした文筆家田辺耕一郎(1903~91年)が、ノーベル文学賞作家川端康成(1899~1972年)に宛てた書簡47通が、神奈川県鎌倉市の川端邸で見つかった。3日から広島市中区のひろしま美術館で始まる「川端康成 珠玉のコレクション展」(中国新聞社など主催)で一部が公開される。(森田裕美)

 「憩いの家」は、1957~92年に現在の南区宇品にあった保養施設。今回見つかったのは、開設に先立つ46年から、川端が没する72年までに送った封書42通とはがき5通。

 川端は日本ペンクラブ会長だった49年、被爆の爪痕が残る広島を、市の招請で訪問している。その根回しをしたのが田辺で、書簡には来訪を打診する記述や、招請快諾への礼状もある。

 被爆地を視察した川端は衝撃を受け、50年に広島で同クラブの特別会合を開催、平和宣言を起草して世界に発信した。同年、広島訪問を題材に小説「天授の子」を発表。この年に英エジンバラで開かれた国際ペンクラブの大会に日本代表を派遣し、ヒロシマを紹介した。田辺は書簡に喜びをつづっている。

 「憩いの家」は、この国際大会の反響から生まれた。被爆者の苦境を知った国際ペンクラブ理事の米国人作家アイラ・モリスと妻エディタが開設を主導し、運営を預かる田辺らへ送金を続けた。田辺は川端に現況報告を重ね、川端も蔵書や揮毫(きごう)した色紙を贈るなどして支えた。

 書簡は、川端康成記念会(鎌倉市)が昨年、資料整理中に発見。同会東京事務所代表の水原園博さん(68)は「文筆家たちが平和のために広島の惨状を受け止め、世界に伝え、被災者を支えようと動いたことを実証する資料だ」と話している。

(2016年9月2日朝刊掲載)

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