×

連載・特集

緑地帯 ベルリン―ヒロシマ通信 柿木伸之 <5>

 ベルリンの石畳の歩道を歩いていると、敷石の間に埋め込まれた真鍮(しんちゅう)のプレートに行き当たることがある。そこには、かつてこの場所に住んでいたが、ナチスの迫害によって収容所へ送られたり、虐殺されたりした人々―ユダヤ人、ロマ民族、同性愛者、政治犯など―の名前が、生年、移送先、没年、そして亡くなった場所とともに刻まれている。これは「躓(つまず)きの石」と呼ばれるもので、ベルリン出身の芸術家グンター・デムニヒが設置し続けている。

 ベルリンには、1996年に最初の「躓きの石」が置かれた。以来、設置の日にはささやかなセレモニーが催され、集まった人々は迫害の犠牲者に思いをはせるという。かつてここにその人がいたことを、ナチスの暴虐の歴史とともに振り返る場が、街路の一角に開かれるのだ。

 「躓きの石」の前に佇(たたず)みながら、昨夏に見た一枚の「原爆の絵」を思い出した。ペンと鉛筆で描かれたその絵には、被爆した「チョーセン(朝鮮)ノ老人」が橋の上に倒れ、「南方留学生」が川べりにいた様子が記されていた。

 原爆で命を奪われたさまざまな人々がどこで暮らし、それはどのような経緯によるのかを、「軍都」と呼ばれた街の歴史とともに振り返る場が、広島の街角に設けられたらと思った。そうすれば、原爆に遭うということを、一人一人の経験として、かつ近代日本の戦争の歴史と照らし合わせながら想起できるのではないだろうか。「躓きの石」は、そのために芸術がささやかながらも重要な力を発揮し得ることを示している。(広島市立大准教授=広島市)

(2016年9月3日朝刊掲載)

年別アーカイブ