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社説・コラム

キーパーソンがゆく 小さな被爆建物を考える会(広島市東区)・日野唯史さん

眠る「痕跡」発掘し紹介 資料で訴え 挿絵も

 街中で、ひっそりと「あの日」を刻む建物や石造物を探しだし、保存、活用を目指す。「知られていない被爆の痕跡を伝え、平和学習などの一助になれば」との思いからだ。

 成果の一つが、広島市中区の平和記念公園の対岸、本川沿いにある公衆トイレ。米軍が原爆投下翌年に撮った映像に酷似した建物が写っているのを、一昨年見つけた。仲間と会を結成し、市に被爆建物としての登録を要望。昨年に実現し、説明板が付けられた。

 それだけで終わらず、被爆前に荷揚げ場だった付近の街並みを伝える資料を独自に作り、希望者に配っている。「小さなトイレでも、被爆前の営みと原爆被害を考える入り口になる」

 イラストレーターの傍らで被爆建物の保存運動に関わり始めたのは、1996年。市が計画した平和記念公園のレストハウス(旧大正屋呉服店)解体に反対し、擬人化したレストハウスを描いた小冊子で保存を訴えた。母方の祖父は爆心地から約1・3キロで被爆。原爆の恐ろしさを次代へ伝える重要性を感じていた。

 レストハウスは残ったが、この20年で市登録の被爆建物は100施設から87施設に減った。今春には、爆心地から約550メートルの本覚寺(中区)に残る被爆鳥居を調査。現在はJR広島駅(南区)の北側に戦時中にあった軍施設の被爆の痕跡を調べ、発信を目指す。

 資料には必ず自作の絵を添える。「未来の平和をつくる子どもに分かりやすいように」(水川恭輔)

ひの・ただし
 59年、広島県府中町生まれ。九州芸術工科大卒業後、広島市内のデザイン会社などに勤めた。98年にイラストレーターとして独立し、99年に東区に事務所「エディット・キュー」を設立。レストハウスの保存活動などにも関わり、15年7月、「小さな被爆建物を考える会」をつくった。

(2016年9月3日朝刊掲載)

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