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ヒロシマ伝えガイド10年 手作り資料 5言語26冊に 胎内被爆者 70歳の三登さん

 胎内被爆者の三登浩成さん(70)=広島県府中町=が、広島市中区の原爆ドーム前でボランティアガイドを始めて10年が過ぎた。ヒロシマをどう伝えるか工夫を重ね、核兵器廃絶を訴える仲間はいま自分を含め12人に。「元気な限り続けたい」と日焼けした顔で話す。

 「Do you know what it is?(これが何か分かりますか)」。ガイドする時は、まず自分の被爆者健康手帳を観光客に見せ、家族と自分の話を始める。漠然とした「被爆者」のイメージを具体的にしてもらうためで、10年間続けている。

 ドーム前に並べたファイルは、原爆投下の目的や放射線の人体影響、核実験の現状などを自ら書いて約90ページにまとめた「ガイド本」だ。質問を受けるたび内容を更新。日本語や英語だけではなく、スペイン語など計5言語、26冊に上る。

 読みふける外国人とは対照的に、日本人、特に広島の人の関心は低い。「知ったつもりではないか」気になる。自身も、証言を続けた被爆者の沼田鈴子さんと出会った50代の頃はそうだった。話を聞き、知らないことの多さに驚いた。

 高校の英語教員を58歳で退職、ガイドの道に飛び込んだ。当初は被爆者団体の仲介で案内したり、平和記念公園のピースボランティアを曜日交代で務めたりしていた。もっと気軽に観光客と触れ合える場があれば―。60歳だった2006年7月28日、ドーム前で無料でガイドを始めた。

 教員の経験が生きた。案内用に作った約40枚の写真が、ファイルに発展。10年からはブログを始め、世界にも情報を発信している。熱心な姿を見て「弟子入り」する人も。その一人、山口誠治さん(70)=東区=も胎内被爆者。三登さんの話を聞き、原爆について知らない自分が恥ずかしくなり、4年前に学び始めたのがきっかけになった。

 三登さんは、事実を正確に分かりやすく、相手の心に響くよう伝える大切さを教えてきた。知識を与えるだけでは不十分。相手が理解し、どうすればいいか考えてこそ目的を達する。

 「『被爆者がいなくなると体験を継承できない』と言うのは何もしない人の言い訳。全く同じは無理でも学ぶことである程度克服できる」と強調する。爆心地さえ知らなかった若者が、今は一人で案内する姿に目を細める。3年目の村上正晃さん(23)=西区=だ。若者でも伝えられる「試金石」として期待している。

 「核兵器の恐ろしさを知ることは核を使わせない力になる。ヒロシマを伝えることは被爆地の責務」。今後も、ドーム前から平和のメッセージを送り出す。(山本祐司)

(2016年9月5日朝刊掲載)

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