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核廃絶 別院から訴え 9年目の「8・6平和の夕べ」 犠牲者追悼の思い込め

 「8・6ヒロシマ平和の夕べ」が、広島市中区寺町の本願寺広島別院で8月6日に開かれた。市民たち有志でつくる実行委員会が毎年続けて9年目のことし、寺を初めて会場に選んだ。原爆で肉親を亡くし、心身に傷を負った被爆者が心のよりどころとした別院から、追悼の心を込めて核廃絶を発信しようと企画。約250人で埋まったホールで、被爆者たちが核兵器なき世界や脱原発への思いをスピーチし、共有した。(桜井邦彦)

 平和講演の講師は、爆心地から約3キロの広島市庚午北町(現西区)の自宅で被爆した児童文学作家の那須正幹さん(74)=防府市。児童書「少年たちの戦場」にちなみ、「児童文学では、子どもたちは被害者としてしか描かれずにきた。だが、子どもが戦場で人を殺している国もある。そうさせるのが戦争の恐ろしさ」と指摘した。

 東日本大震災後、原発事故の影響を受ける福島県の小学校で広島の被爆と復興について話し、「希望を失わないように」と励ました体験も紹介。講演を聞いた女児が「私たちは30歳までに死ぬと思う」と漏らしたことに触れ、「ショックだった。核兵器、原発とも放射性物質というものは身体だけじゃなく心まで傷つける」と述べた。

参加者が倍増

 平和講演の前には、僧侶や被爆者、東日本大震災に伴う原発賠償関西訴訟原告団代表の計3人が、リレートークでそれぞれの思いを語った。

 その一人、広島県被団協(坪井直理事長)の池田精子副理事長(84)=広島市安芸区=は、12歳の時に学徒動員先の鶴見町(現中区)で被爆し、顔に大やけどを負った体験を証言し、「憎しみがあるところに平和はあり得ない」と力を込めた。

 平和の夕べは、「反戦平和研究集会」の名で2008年にスタート。賛同の輪が広がり、当初約100人だった参加者は2倍以上になった。毎回、著名な漫画家や学識経験者たちを講師に招き、中区内の別のホールを借りて続けてきた。

教区側も歓迎

 会場を別院に移したきっかけは、浄土真宗本願寺派安芸教区が昨年夏、「非戦・平和を願って70年」をテーマに別院で開いた平和行事。平和の夕べ実行委は、教区の公募に応じ、被爆ピアノの演奏会を6月に開いた。

 行事参加を通じ、復興を願って再建された別院の歴史などを知り、「原爆犠牲者の多くは安芸門徒。命日である8月6日の行事にふさわしい会場」と考えた。教区側も「昨年の行事を縁に別院での活動の輪が広がることは、平和の問題を見詰め考える、いいきっかけになる」と歓迎する。

 広島原爆で伯父を亡くした実行委事務局長の森上雅昭さん(64)=萩市=は「皆さんのスピーチを聞き、核廃絶を進めないと人類の幸せがこないとあらためて実感させられた」と言う。08年から中心となって関わり、別院開催を提案した立場から「平和の原点は命を大切にする人の心。被爆者のお墓が多い寺町の中心にある別院で、平和を誓えたことは活動の新しい出発点になった」と強調。来年以降も別院での開催を目指す。

(2016年9月5日朝刊掲載)

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