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連載・特集

緑地帯 ベルリン―ヒロシマ通信 柿木伸之 <6>

 街路に埋め込まれた「躓(つまず)きの石」は、その真鍮(しんちゅう)のプレートに名を刻まれた人が、ナチスの暴虐のためにそこに住み続けられなかったことを示している。同様に、消失を示すことで歴史に向き合わせる芸術作品は、ベルリンの街の所々に見られる。例えば現在、州立歌劇場の改修工事が進んでいるベーベル広場では、地下に「空っぽの図書館」が見える。この場所で、ユダヤ人の著書の焚書(ふんしょ)が行われたことを想起させている。

 喪失そのものを身体的に感じさせる作品もある。2002年にヒロシマ賞を受賞した建築家ダニエル・リベスキンドが、ベルリンのユダヤ博物館に設けた「ヴォイド」は、代表的な例といえよう。この巨大な「空所」に立つと、博物館に展示されているユダヤ人の生きざまとその文化が、いやそれ以上の何かが、ナチスによる絶滅の企てによって取り返しのつかない形で失われたことが、戦慄(せんりつ)を覚えるほどの重みで迫ってくる。

 こうした作品が、歴史のドキュメントを展示した博物館の内部にあることには、重要な意味があると思われる。それは、展示を深く受け止めることへ人を導くだけではない。記録されていないもの、歴史からこぼれ落ちていくものを想起する場を開き、歴史そのものを問うている。

 このような作品と向き合った体験を胸に、展示―ベルリンの博物館の展示は、どれも半日では見きれないほど膨大だ―をたどり、これまで学んだ「歴史」を問いただすことは、自分が今どのような時代に生きているかを見通すことに結び付くに違いない。(広島市立大准教授=広島市)

(2016年9月6日朝刊掲載)

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