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連載・特集

緑地帯 ベルリン-ヒロシマ通信 柿木伸之 <7>

 イスラエルの芸術家ミシャ・ウルマンは、ベルリンのベーベル広場の地下に、ナチスの焚書(ふんしょ)を記憶するために「空っぽの図書館」を造った。こうした作品は、都市空間の現在に介入する形で、ナチス・ドイツの歴史を、ナチスが抹殺しようとした記憶とともに振り返る場を開いている。

 このように、芸術作品がベルリンの街の中で人を立ち止まらせる力を発揮し得る背景には、芸術を生かし続ける都市の日常があることも忘れてはならないだろう。

 ベルリンでは、9月から翌年7月までのシーズンに、毎日さまざまな会場で演奏会、オペラや演劇の上演などが催されている。書店やカフェでの作家による文学作品の朗読も盛んだ。特徴的なのは、同時代の作品が積極的に取り上げられていること―オーケストラの演奏会でも現代曲はしばしば奏でられる―と、古典的な作品を取り上げるにしても、なぜ今その作品なのか、という問いに答えようとしていることである。

 それが端的に表れているのが、オペラや演劇などの舞台上演ではないだろうか。今もモーツァルトのオペラやシラーの戯曲は繰り返し上演されているが、その際の、時に「過激」とも評される踏み込んだ演出は、古典的な作品の内実を現代の問題と対話させる試みにほかならない。そこにある作品の新生こそ、芸術作品の生命なのだ。

 素晴らしい演奏会場があるだけでは、芸術は生きない。空間を酷使するほどの試みが繰り返され、それが人々の関心を呼び続けていることが、ベルリンの街の中に芸術を息づかせているのである。(広島市立大准教授=広島市)

(2016年9月7日朝刊掲載)

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