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社説・コラム

『潮流』 忘れることの功罪

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長・宮崎智三

 誰が言いだしたか分からないが、「忘却は人間の救いである」という言葉がある。確かに失敗や嫌なことは、とっとと忘れてしまった方が精神的に楽だろう。賢明な選択と言えるかもしれない。

 ただ、集団や社会にそのまま当てはめるわけにはいくまい。そんな当たり前の事実にあらためて気付かされた。最近見た映画のおかげだ。

 東日本大震災が起きてからの5日間をモチーフにした「太陽の蓋(ふた)」である。東京での封切りから2カ月足らず、中国地方でも今月ようやく上映が始まった。

 福島第1原発事故の対応に右往左往する首相官邸の緊迫した動きを軸に、ドキュメンタリータッチで展開する。首相や官房長官をはじめ当時官邸で役職に就いていた政治家は実名で描かれる。もちろん演じているのは本人ではなく役者なのだが。思い切ったテーマと切り口、異色作と評されるのもうなずける。

 官邸を取材する記者や、同原発で働く若者とその家族らも重要な登場人物だ。重層的に当時を再現しようというのが狙いだろう。そのせいか、たかが5年半前なのに忘れていた感情がよみがえった。相次いで原発が爆発した時の不安。対応が後手に回るふがいない政府、頼りなく無責任な「専門家」に覚えた憤り…。

 緊急事態に向き合う政府のどたばたぶりといえば話題の「シン・ゴジラ」とも共通する。だが、事実に基づく重みでは「太陽…」が勝る。事故後の今を、あらためて考える好機にもなった。起きないに越したことはないが、万一また起きたら失敗は繰り返さないのか。そのため、どんな教訓を引き出し、どれだけ課題を解決したか。そもそも事故処理もまだ終わってはいないのに心もとなく感じる。

 もしかしたら、失敗したことさえ忘れてしまったのではないか―。そんな忘却では、「救い」は到底望めまい。

(2016年9月8日朝刊掲載)

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