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現場発2016 旧広島大理学部1号館 保存・活用 学都の象徴どう生かす

被爆実態 伝える知恵を

 広島市が、広島大本部跡地(中区東千田町)に立つ旧理学部1号館の保存・活用議論を本格化させている。市が所有する被爆建物では最大規模。「学都広島」の歴史を伝える象徴的な存在でもある。保存の範囲や用途にとどまらず、建物を通じて被爆の実態を次代に伝え続ける工夫について、官民の知恵が求められている。(和多正憲)

 広島県内8大学の副学長や被爆者、住民代表ら14人でつくる1号館の保存・活用に関する市の有識者懇談会が1日、市役所で3回目の会合を開いた。

進む建物の老朽化

 保存策を巡って、市民団体「原爆遺跡保存運動懇談会」の世話人で元広島大教授の石丸紀興さん(75)=南区=は「可能な限り全面的に保存すべきだが、老朽化を考えると難しい」と指摘。他の出席者も「コスト面でも適切ではない」などとし、全部保存に否定的な意見が大勢を占めている。

 市によると、耐震調査の結果、築85年の1号館は震度6強の地震で倒壊する恐れがあり、全部保存には40億6千万円の耐震改修費が必要という。半面、「建物としての形態がなく、象徴的な保存では被爆建物とは呼べない」(市平和推進課)。旧山口銀行本通支店(中区)は2002年に解体後、外壁の一部が新築の商業ビル内に保存・展示されたが、市は被爆建物の登録から外した。1号館でも今後、一部保存の範囲が議論の中心になりそうだ。

 もう一つの論点である活用策にも大枠はある。市と広島大は11・4ヘクタールの跡地活用に当たり、「知の拠点」構想を掲げてきた。13年末に開発事業者に決まった民間の企業グループにより、3分の1のエリアは学生向け賃貸住宅などの建設が進む。広島大東千田キャンパスにも今春、新校舎が完成。1号館は、この構想の仕上げに位置付けられる。

 市は昨年度、活用のアイデアを市民から公募した。寄せられた意見では、「博物館」「交流施設」「大学施設」などが目立った。

 有識者懇談会では「地域の大学共通施設」「平和教育の拠点」などの案が出ている。広島大も14年に「社会人教育機能も備えた産・学・官の連携組織の活動拠点」にするよう市に要望した。被爆建物の一部を残し、増築するなどして教育関連の機能を持たせる―。これまでの議論で見えている大きな方向性といえる。

本年度中には結論

 ただ、多額の費用を投じて残すからには、被爆建物としての特有の歴史をどう広めるかという視点が今後、議論に欠かせない。1号館の1階の壁には被爆時にいた人の血痕があったが、現在は広島大東広島キャンパス(東広島市)で保管されている。学都再興の拠点になった戦後の歩みも含め、被爆建物を通して何を伝えるかが問われる。

 市登録の被爆建物は86施設。原爆ドーム(中区)のように「あの日」の惨禍を体現しているのはまれで、多くは改修などを重ねて立ち続けている。「保存するだけでなく、どう生かしたいのか行政が方向性を示さなければ何も決まらない」。元原爆資料館長で被爆者の原田浩さん(77)=安佐南区=は現状を憂う。

 市は本年度中に結論を出す方針だ。「1号館をはじめ市内に点在する被爆建物を結ぶようなソフト面での連携策を強めれば、より訴求力が増すのでは」。原田さんは被爆建物の新たな活用策を提案している。

旧広島大理学部1号館
 1931年に広島文理科大本館として建設。鉄筋3階建て延べ約8500平方メートル。爆心地から約1・4キロで被爆し、外観を残して全焼した。戦後に補修され、49年の広島大開学で理学部1号館となった。東広島市への大学の統合移転に伴い91年に閉鎖。93年度に被爆建物に登録された。広島市は2013年4月に、国立大学財務・経営センターから建物と敷地0・6ヘクタールの無償譲渡を受けた。14年に市の調査で、震度6強の地震で倒壊の危険性があることが判明した。

(2016年9月8日朝刊掲載)

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