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社説・コラム

社説 「9・11」から15年 テロの土壌を直視せよ

 約3千人が犠牲となった米中枢同時テロから、15年を迎えた。高層ビルに旅客機が突っ込んだ「あの日」を境に、世界は一変した。憎悪が連鎖する空気が現実としてある。

 同時テロ跡地には商業施設「ワン・ワールド・トレードセンター」が建設され、多くの人でにぎわう。惨事の痕跡はほとんど見当たらないというが、米国民の記憶から消し去ることはできないだろう。心的外傷後ストレス障害(PTSD)やがんの形で現れることもある。

 私たち日本人もあらためて犠牲者に哀悼の意を表し、卑劣なテロを憎む姿勢を示そう。だが、国家規模の「力の論理」にくみすることとは別物だ。

 同時テロ以降、米国の外交や安全保障政策はゆがんだ方向に進んだといっていい。報復とばかりにイラクに侵攻したが、泥沼と化した戦争の負担に耐え切れなくなった。その結果、「唯一の超大国」の地位は低下の一途をたどった。15年はそのような歳月の流れでもあろう。

 同時テロの教訓は、先進国が世界で受け入れられるはずだと信じて、政治や経済の理念、制度を押し付けても、憎悪が憎悪を呼ぶ懸念が強いということではないか。欧米流の民主主義が一神教の世界観と摩擦を起こすこともあろう。その是非はともかく自覚しておくべきだ。

 9・11の首謀者とされるビンラディン容疑者を殺害し国際テロ組織アルカイダを壊滅状態にしたことは、対テロ戦争の「成果」とされる。しかし同容疑者が抱いた欧米への反発は、過激派組織「イスラム国」(IS)が受け継いだ格好である。

 ISに共鳴する若者たちが、テロを引き起こし、日本人も犠牲になった。テロ犯には欧米で生まれ育った者も多く、ISとの関係もはっきりしない。テロの裾野の広がりを物語る。

 9・11後、中東は民主化運動「アラブの春」を経験した。しかし、チュニジアでこそ民主化が進んだが、エジプトではイスラム主義組織が樹立した政権に対し軍部がクーデターを起こし軍中心の政権に逆戻りした。リビア、シリア、イエメンは内戦に突入した。パレスチナ問題も改善の兆しが見られない。

 一方で、深まる中東の混乱から逃れようと、膨大な数の難民や移民が生まれ、欧州を揺さぶっている。英国の欧州連合(EU)離脱の決定やEU各国での右派政党の議席増、米国でトランプ氏が大統領候補となったことは、中東を震源とする不安が大きな要因といっていい。

 イスラム過激派にどう相対していくのか。答えは見つかっていない。軍事面ではISは米国などの空爆でシリアとイラクの両国で勢力を失いつつあるが、「IS後」も新たな過激派組織が生まれると想像できる。

 それでも、過激思想が支持を集めるような環境をつくらないことをまず考えたい。イラク戦争のように、政権を転覆させる理由もないままに戦争を始めれば、勝利したとしても、やがて民の怒りをあおるだけだ。

 テロを生む土壌に横たわるのは人種や民族による差別、飢餓や貧困、そして経済格差の問題であろう。そこから目をそらさず、解決に向けた地道な営みを続ける。それこそが「テロとの戦い」にほかなるまい。平和国家日本の役割でもあろう。

(2016年9月13日朝刊掲載)

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