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社説・コラム

柳原白蓮 波乱の生涯 広島で特別展 短歌や恋文 反戦運動も紹介

 男尊女卑の強かった時代に、女性としての生き方を問い掛けた歌人柳原白蓮(1885~1967年)。波乱に満ちた歩みをたどる「柳原白蓮の生涯展」が、広島市中区のそごう広島店で開かれている。短歌をはじめ、書簡や愛用品など約200点を展示。今もなお、多くの人を魅了する人間像を伝えている。

 後の大正天皇のいとことして東京で生まれた白蓮。15歳で結婚するが離婚を経験し、23歳の時、東洋英和女学校に入学する。そこで「腹心の友」となる翻訳家の村岡花子に出会う。また、歌人佐佐木信綱の下で短歌を学ぶ。

 1911年、九州の「炭鉱王」と呼ばれた50歳の伊藤伝右衛門と、25歳で再婚。生い立ちや世代も違う夫との結婚生活を、<誰か似る鳴けようたへとあやさるる緋房の籠の美しき鳥>とも詠み、歌集「踏絵」を刊行した。その初版本も出展されている。

 転機は、7歳年下の学生宮崎龍介との出会いだ。やがて狂おしい恋へと発展する。2年ほどの間にやりとりした手紙は約700通。会場には、画家竹久夢二がデザインした色鮮やかな絵封筒が並び、優美さに目を奪われる。

 21年、白蓮は龍介と駆け落ちを果たす。妻が夫以外の男性と関係を持ち、夫が訴えれば罪に問われる時代にあって、夫に宛てた絶縁状が新聞に掲載された。有名な「白蓮事件」だ。絶縁状の直筆の下書きからは、自らに忠実に生きようとした意志がにじむ。

 世間の批判にも屈せず龍介と結婚し、2人の子どもに恵まれる。だが、45年8月11日、長男香織を空襲で失う。その経験から戦後、「国際悲母の会」を結成し、戦争のない世界の実現を願って活動する。

 55年には、講演活動の一環で広島を訪れ、被爆した少女を見舞った。<原爆のみたまにちかふ人の世に浄土をたてむみそなはしてよ>。「みそなはしてよ」は、「ご覧になってください」といった意味。56年刊行の歌集「地平線」で発表している。

 白蓮の人生は2014年、NHK連続テレビ小説「花子とアン」でも描かれ、人気を呼んだ。展示を監修した孫の宮崎黄石(こうせき)さん(69)は「一人の女性としての生きざまを感じてもらえたら」と期待を込める。19日まで。(石井雄一)

(2016年9月13日朝刊掲載)

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