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弟の被爆死 物語る弁当箱 原爆資料館に寄贈

 原爆で1歳下の弟を失った呉市倉橋町の元高校教諭加納恒治さん(81)が、黒く焦げた遺品の弁当箱を原爆資料館(広島市中区)に寄贈した。夏休みで帰省していた弟。広島に戻るよう促さなければ生きていたと悔やみ、仏壇に置き手を合わせていた品だ。同館で21日始まる新着資料展で初公開される。加納さんは悲惨さを後世に伝えて、と願う。

 弟の幸治さんは当時12歳。県立広島工業学校(現県立広島工高)の1年生として広島市内の寮で生活し、8月6日の朝は爆心地近くで建物疎開の作業中だった。

 加納さんは当時のことをはっきりと記憶している。倉橋に帰っていた幸治さんに「そろそろ広島に帰らにゃいけん時間じゃのう」と声をかけた。同月4日のことだ。弟は返事もしなかった。寮に戻ったのは5日だった。

 「なんで『帰らんでもいい』と言わなかったのか。倉橋に残っておれば助かったのに」。後悔が胸に突き刺さる。7日以降、父親が何度か広島に足を運んだが、行方は分からなかった。

 3カ月ほど過ぎて、「カノウコウジ」と書いた弁当箱が返ってきた。黒こげの麦飯とイモが残っていた。「遺体がないのに弁当箱だけ戻ってきた。むなしかった」。さらに後日返ってきたゲートルは骨代わりに墓に入れた。

 加納さんは「戦争も原爆も悲惨な思いしか残さないことを小さい弁当箱を通じて感じてもらいたい」としている。(加田智之)

(2012年6月13日朝刊掲載)

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