×

社説・コラム

新社長 広島ホームテレビ(広島市中区)・伊藤裕章氏 ローカルを世界へ発信

 若い世代のテレビ離れが進み、「視聴率で広告収入を稼げばいい時代は終わった。地方の放送局は、相当厳しい経営を迫られる」と重責に挑む。広島銀行(広島市中区)出身だった前社長の大辻茂会長(65)からトップ交代を告げられ、6月に専務から昇格した。会長との「二頭体制」で難局を乗り切る姿勢を強調する。

 「県域で守られていた従来型の放送局では生き残れない」と危機感は大きい。将来を見据え、新たなコンテンツ販売の道を探る。その一つが、インターネットテレビへの番組配信だ。広島東洋カープを題材にしたバラエティー番組を高画質の4Kで撮影するなど、対応を強めている。

 朝日新聞社の記者だった。志望のきっかけはベトナム戦争。中学生の頃、反戦運動が広がり「日本が戦争に巻き込まれてはならない」との思いを強めた。西部本社(北九州市)で1980年代の旧国鉄の分割民営化を担当。東京で決められてきた運行ダイヤなどが消費者目線で便利になっていくのを感じ、企業取材にのめり込んだ。

 30代で転機が訪れた。英語が大嫌いなのに米国の大学院へ社費留学を命じられ、2年間、睡眠時間を削って修士号を取得。ソ連崩壊間際にはモスクワに駐在し、日米貿易摩擦が激化する中、ワシントン特派員も務めた。当時を知る元同僚は「常に冷静だが、内に秘める強さがある」と評する。

 後に大阪に新社屋を建設する責任者も務めた。ビルが完成する直前の2012年6月、広島ホームテレビに移った。

 4年たった今、経営で重視するのは「テレビを超え、ローカルを超える」こと。広島にしかない貴重なコンテンツを世界へ発信する新ビジネスを生み出すことに力を入れる方針だ。立体映像を壁に投影するプロジェクションマッピングなどにも期待する。

 「戦争に巻き込まれて苦しんだ人の視点で記事を書く」。20代で抱いた目標を記者としては果たせなかったが、ヒロシマとの巡り合わせを「ぐるっと遠回りして原点に戻った」と感じている。

 趣味は、高校時代にラジオの深夜放送で出会った落語。大学では落語研究会に所属した。2人の息子は独立し、埼玉県所沢市に妻を残して広島市中区で1人暮らし。掃除、洗濯をするのはもちろん、料理はカレーやパエリアも作れる。(桑島美帆)

 ≪略歴≫京都大法学部卒。79年朝日新聞社入社。西部本社経済部次長、北海道支社北海道報道部長などを経て、08年大阪中之島新ビル建設室長。12年広島ホームテレビ専務。16年6月から現職。兵庫県出身。

 ≪会社概要≫本社は広島市中区白島北町。1969年設立。福山市と東京、大阪、福岡に支社を置く。2016年3月期の売上高は92億3500万円。従業員は121人。テレビ朝日(東京)の系列で、同社の持ち株会社の筆頭株主は朝日新聞社。

(2016年9月17日朝刊掲載)

年別アーカイブ