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社説・コラム

天風録 「怒りのカジマヤー」

 旅先で地元紙を買わずにはいられないたちだ。ささやかな記事にも小さな驚きを見つけては楽しむ。先日は沖縄で読んだ「カジマヤー祝う」の見出しの記事がそうだった。おばあさんの数え97歳を祝って、何と親族90人が車列を組んでパレードしたという▲媼(おうな)は山でまきを拾い、海でタコを取って糧を得てきた。やしゃごを抱くことができる小さな幸せが今ある。カジマヤーとは風車の意。その年になれば童心に帰るという言い伝えだろう。風車を振ってことほぐのである▲人なら歳月に耐えて花開く。こちらは誰か、カジマヤーを振るだろうか。沖縄の辺野古の海を埋め立てて築く米軍基地は、「200年」に耐えるというが▲同じ日の新聞は「辺野古が唯一」という国の主張を受け入れた司法への疑念に満ちていた。知事があぜんとしたのも無理ない。かつて米軍は「銃剣とブルドーザー」で基地を造ったが、今はわが政府が願ってやまない▲リオデジャネイロ・パラリンピックの閉会式では、聖火の炎を風車の風で消す演出があった。だが、沖縄の人たちの怒りと嘆きの炎をなだめる風車はあるまい。やしゃごができても変わらない「基地の島」の現実がある限り。

(2016年9月20日朝刊掲載)

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